今年も山仲間と忘年会を三重県菰野町朝明にある「朝明ヒュッテ」で行った。
酒を酌み交わしながらのおしゃべりは、酒の量を忘れてしまい、いつの間にか酩酊し、早々と布団に入った。
翌日は近くの山に登る予定でいたが、朝食の準備をしていると雪が降ってきた。
しばらく様子をうかがっていると、雪はどんどん降りだし、ヒュッテ前の駐車場は白くなってきた。
雪の中を登ってもよいが、山頂に立っても展望を望むことができないので、断念することになった。
10時ちかくまで話をして解散。
東名阪道から伊勢湾岸自動車道に入りしばらく行くと、名港中央IC出口が大渋滞。反対車線も同様で、オドメーターで渋滞距離を確認すると4kmもあった。
名古屋自動車ショーに行くための車の列だ。
こんな渋滞はゴメンだ。
野遊人
17日、おじさんとおばさんの熟年、いや中高年と言うべきか、8人のパーティで鈴鹿の竜ヶ岳に行ってきた。
4年前の同じ時期にも登っているが、この時は雪がうっすら積り、山頂は強風で周囲を眺めることができなかった。
この時のコースはホタカ谷(裏道とも言う)から登り、石榑峠(いしぐれ)を経る表道を下山した。
しかしホタカ谷は度重なる大雨により危険個所があるので、通行しないよう通達があったので、今回はヨコ谷(中道)から登り、最近ルートができた金山尾根から下山した。
金山尾根ルートの他にも遠足尾根というルートもできていた。
宇賀渓の駐車場から出発して30分すると「五階滝」と呼ばれる滝が現れる。
おそらく5段の滝になっているのでしょう。
ホタカ谷には大きな堰堤が二つあり、堰堤に設けられた階段を子のように登る。
足を進めると中道との分岐があり、まっすぐ行けば「長尾滝」があるが、滝は見ずに中道を進む。
山の中腹では青い空をバックに見事な紅葉が顔を出し始めた。
これを見に今日は来たのだと、改めて思い出す。
3時間の登りで、背の低い笹原が特長の山頂に到着。
山頂は大変な人出。
こんなに人気があるとは思っていなかった。
人はずれに場所を取って昼食をいただき、金山尾根を下って下山。
宇賀渓の駐車場に戻ると餅つきを行っている。
係の人が「どうぞ食べて行ってください。地元の石榑茶も飲んでいって下さい」と疲れた体に炭水化物を補給した。
野遊人
というのは、ブログに記載したように、14日、15日に同じところを歩いているので、何故事故が起きたかボクなりに考えてみた。
山荘の方(多分、木曽殿山荘)が、悪天候なので山歩きをやめるように忠告したにもかかわらず彼らは宝剣岳に向けて出発した。
檜尾岳から濁沢大峰は岩稜帯を歩く。
岩稜帯の岩には、登山道を示すペンキのマーキングがあるが、白のペンキでかなり消えかかっていて分かりにくい。
恐らく岩稜帯で道を失ったのではないだろうか。
樹林帯の登山道でコースミスをすると、踏み跡がなくなりコースミスに気付くが、岩稜帯では気づきにくい。
しかも雨でほとんど視界が効かなく、前方が見通せなかったと思う。
15日、檜尾尾根から登り、宝剣岳を目指した70歳の方と温泉で話をした。
歩行速度が遅く、宝剣山荘への到着が遅くなると判断して、ツエルト(簡易テント)でビバークしたが夜雨が降り、死ぬかと思うくらい寒かったと言っていた。
ツエルトなしではとても耐えられない寒さだったと推測される。
あの雨と風では宝剣岳を通過するのは困難で、ロープウェイ駅へ迂回するのが事故を防ぐ道と思う。
日本人のガイドがいれば、恐らくそのような道を選択したであろう。
この事故を教訓に、十分注意して山と向き合おう。
野遊人
この時期高山植物が目を楽しませてくれる。
左の花はチシマギキョウ
右はミヤマキンバイ
左の白い花はハクサンイチゲ
右の紫の花は???
調べてみたが分からなかった。
ようやく檜尾岳山頂に着いた。
ここを30分下ったところに、本日のねぐらの「檜尾岳避難小屋」があるが、斜面が崩れていて道がわからない。
先を見ると踏み跡が見えたので、崖崩れの後を進み、ようやくたどり着いた。
ドーム型の素敵な小屋だ。
小屋の中には男性5名女性6名が休んでいて、ボクも何とか寝床を確保することができた。
どこから来ました?どのルートを歩いてきました?明日の予定は?など、話をしながら、保冷バッグに入れてきた缶ビール2本と水割り2杯飲んだら、いつのまにか爆睡。
気が付いたときは、激しい雨が降っていた。
翌日4時半頃から身支度を始めたが、外は濃いガスが立ち込め、雨が降っている。
小雨になった5時半頃、檜尾尾根を下山開始。
雲で眺望がなく、面白くもない下山だが、写真ではわかりにくいが虹が見えたときは、ちょっぴり幸福感を味わった。
登山口に下山したときは澄んだ青空が広がり、夏山が顔をのぞかせた。
2日間とも天候に恵まれない山行であったが、多分忘れることができないものになるでしょう。
野遊人
1日2登!、1400回以上!富士山登頂を果たした實川さんの講演が面白かった。
1400回の最登頂記録ばかりでなく、東京を出発して富士山に登る。
日本一低い大阪の天王山を出発して、8日間かけて富士山に登頂。
日本海の親知らずを出発して北アルプス、中央アルプス、南アルプスから29日間かけて富士山に登り太平洋に下りるなど、いろいろなコースを設定して記録に挑んでいる。
富士山は年間200回以上登頂している。
当然定年退職した、私より7歳上の鉄人。
自分の体力の限界を知るため、50時間不眠不休で伊豆半島220kmを歩き終えたなど、そのチャレンジ精神には恐れ入るばかりだ。
これまで7大陸の最高峰登頂は、エベレストを残すだけとなり、来年無酸素でエベレストを、しかも2登目指す。
無酸素が無理なら引き返して酸素ボンベを持って登頂を目指す。
ぜひ完登を果たしてほしいものだ。
話に引き込まれて写真を撮るのを忘れてしまった。
特にガレ場ではヘルメットの着用を強調した。
穂高で150m滑落した男性は、両足と腕を骨折しながらも、ヘルメットを着用していたため鼻血だけですみ、現在、山に登るため再手術を行うそうだ。
なかなかこのようなセミナーがなく、非常に貴重な話を伺え、山登りがさらに楽しくなったような気がした。
野遊人