臨床工学技士法が制定されたのは昭和63年4月1日、翌年受験資格を得て免許を取得した。
その翌年であったと思うが、県外の市立病院の院長先生から三木院長に、臨床工学技士がいないので、毎日でなくてもいいから臨床工学技士を派遣してくれないかと要請があり、週に2日行くことになった。
行って驚いたのは、26床の透析室は全て個人用の透析装置ガンブロのAK-10が配置されていたことだ。
と言うのは、愛知県内で、時代遅れのAK-10を使用しているのは1施設だけで、殆どの施設は個人用透析装置よりも多人数用透析液供給装置+透析監視装置の組み合わせの方が多いからだ。
さらにAK-10はバイカーボ仕様になっていたが、B原液注入ポンプはチューブをローリングポンプ(血液ポンプと同じ構造)でしごいて吸引し、しかも定量ポンプ(回転数を固定)という恐ろしい代物だった。
と言うのは、チューブが劣化してくれば吸引量が低下するので、濃度セルで濃度をチェックしながら、原液注入ポンプの回転数を制御する構造でなければならない。
血液ガス分析装置で、それぞれの装置の重炭酸濃度を測定してみると、とんでもなくバラついていた。
これは“どげんかせんといかん”何故なら、バイカーボ透析は重炭酸濃度が命からだ。
そこで院長先生に、多人数用透析液供給装置で透析液を作製して、AK-10に供給してはと提案したが、ボクが派遣されている3年の間に、この提案は日の目を見ることはなかった。
野遊人
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