写真は西柳ケ瀬通りで、アーケードを進むと東柳ケ瀬通りになる。
少し歩いてみると、シャッターに「売り物件」の札が貼られている店が目立ち、ここもシャッター街となっている。
地元では「おちょぼさん」と呼んでいる。
お千代保稲荷は、豊川稲荷、伏見稲荷とともに日本三大稲荷と言われている。
写真は東参道の鳥居。
参道は西に延び、参道の両側には店がびっしりと並ぶ。
TVでなじみの串カツやドテ煮、漬物、川魚の佃煮、漢方薬、開運グッズ、野菜、麩・・・何でもありといったところだ。
この日は30度を上回る大変暑い日にもかかわらず、ご覧のような賑わいをみせている。
名物の串カツとドテ煮を食べ、お土産を買って従兄弟会はここで解散した。
野遊人
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父方の従兄弟たちで、一泊旅行を岐阜で行った。
道の駅「どんぶり会館」で待ち合わせ、そこで昼食を摂って美濃焼の陶器を見て回った。
行った先は加藤幸兵衛窯。
現在は第七代目であり、八代目に亮太郎が控えている。
代々長男がを継いでいるが、六代目の卓男は本名で人間国宝となったため、幸兵衛を名乗っていない。
一番目を引いたものは、ペルシャの釉薬を使った青い陶器。
透き通った青は、日本にはないものだ。

この皿は、見る角度によって、鳥の尾羽の色が違って見える不思議な陶器。
何気なく通り過ぎてしまうところを、他のグループが説明を受けていたのを聞いて分かった。


現在は使われていないと思われる、古陶器資料館の裏にある穴窯。
陶器のことはよくわからないが、それでも目を楽しませてくれた。
野遊人
道の駅「どんぶり会館」で待ち合わせ、そこで昼食を摂って美濃焼の陶器を見て回った。
行った先は加藤幸兵衛窯。
現在は第七代目であり、八代目に亮太郎が控えている。
代々長男がを継いでいるが、六代目の卓男は本名で人間国宝となったため、幸兵衛を名乗っていない。
一番目を引いたものは、ペルシャの釉薬を使った青い陶器。
透き通った青は、日本にはないものだ。
この皿は、見る角度によって、鳥の尾羽の色が違って見える不思議な陶器。
何気なく通り過ぎてしまうところを、他のグループが説明を受けていたのを聞いて分かった。
現在は使われていないと思われる、古陶器資料館の裏にある穴窯。
陶器のことはよくわからないが、それでも目を楽しませてくれた。
野遊人
ちょっと面白い光景なのでカメラに収めた。
ミッドランドスクエア内にトヨタ自動車のショールームがあり、『トヨタランドクルーザー200ダカールラリー参戦車両』が展示してあるそうだ。
知っていれば見学してきたのに、とミッドランドスクエアのサイトを見てつぶやいている。
他にもスピンドルグリルを採用した赤いレクサスIS300や86、FJクルーザー、プリウス、アルファードなど8台が展示してある。
トヨタ車を見に名古屋まで行くことはないが、名古屋に行くついでがあればどうぞご覧ください。
野遊人
手前に初代カローラ。
庶民でも軽自動車ではなく普通車が購入できる時代となり、日産は1,000ccのサニー、トヨタは1,100ccのカローラを発売。
TVのCMでは「隣の車が小さく見えます」などと放映したため物議をかもした記憶がある。
ベルトコンベアーに4気筒のエンジンブロックが並べられ、シリンダーの加工や穴あけを行っている。
人間がいなくても寸分の狂いもなく工程が進んでいる。
溶接ロボットが何か所を同時に溶接している。
多分スポット溶接と呼ばれるものでしょう。
ここも人間がいなくても正確無比に作業が行われている。
この他にもドラムブレーキとディスクブレーキ、クラッチ、オートマチックとマニュアルの変速機の違い、タイヤ、デファレンシャルギアなど、車の成り立ちをカットモデルと映像で詳しく紹介しているので、メカに詳しくなくとも十分理解でき、メカに詳しい人はワクワクした気持ちで見学できる。
10時に入館して、昼食を食べるのも忘れるほど熱中して見学し、見終わった時は3時になろうとしていた。
近くに「ノリタケの森」があるので、今度はここに来ましょう。
野遊人
繊維機械館と自動車館の通路で、鍛造の実演を行っている。
鍛造とは金属をハンマー等でたたいて圧力を加え、金属内部の空気の隙間をつぶし、結晶を微細化して、結晶の方向を整えて強度を増すもので、刀を作る光景を思い出していただきたい。
高周波を38秒当てるだけで金属は1200℃になり、それをプレス機で2回型取りをしてバリ取りを行う。
ここではコネクティングロッドの製作の実演を行っている。
最初の試作乗用車A1型の木型ボディ。
木型に鉄板を当ててフェンダーを作成している光景。
おそらく設計図を基に作製されたものと思われる。
当時としては先進の流線型ボディ。
一代で「世界のホンダ」にしたホンダの創業者、本田宗一郎さんの名声は高いが、トヨタ自動車の創業者、豊田喜一郎さんも本田さんと引けはとらないと思った。
というのは、本田さんは自転車に小型エンジンを積んだものから出発したので、4輪を製作したときは、エンジン技術には相当高いものがあった。
※2輪のレースでは世界を制していた。
ところが豊田さんは、自動織機の製作所の跡取りであって、ガソリンエンジンの技術はないにもかかわらず、いきなり自動車の製作に取り掛かっている。
トヨダトラックG1型。
当時は戦争へ進む時代であったので、乗用車よりもトラックの注文の方が多かった。
1954年製のトヨエース、995ccで30馬力の性能は、現代とはひっかうにならない。
ひょうきんな風貌はどことなく癒されるようだ。
その隣は初代クラウンで、純国産技術で作られた。
最高速度は100km/h、東京ーロンドン間5万km走行に挑戦して成功している。
野遊人