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2019/10/16 06:28 |
田峯城
稲目トンネルを設楽町側に抜けると、田峯(ダミネ)への案内がある。

田峯は小高い丘陵地に開いた集落で、1470年に田峯城が築かれた。



以前より興味があったので寄ってみた。





入館料300円を支払い入場。

土曜日にもかかわらず見学者は私一人。受付の女性の人件費も出ないのではと、どうでもよい思いがよぎる。 



城と言っても屋敷のようなもの。





寄贈 神奈川県とあるから本物の甲冑であろう。



武将の甲冑



武将の家来たちのものであろう。



城を見学した後田峯の集落を振り返ってみる。文字通り肩を寄せ合っての生活。

この先に「首塚」の案内板がある。気になるので行ってみる。

武田勝頼と織田・徳川連合軍が戦った長篠の合戦では、田峯城の城主菅沼定忠は武田側に就いた。

戦に敗れた定忠は、勝頼を休息させるために田峯城に入ろうとしたが、留守を預かる叔父の定直は謀反を起こし入城を拒み、仕方なく定忠は勝頼を導き、稲武町の武節城へ遁走した。

ここまでの経過を知っていたが、この先の顛末が実に恐ろしい。



これが首塚

武節城から飯田に逃れた定忠は、1年後の7月14日未明、田峯城を急襲し、老若男女幼少を問わず96名を殺害。

中でも首謀格の次席家老、今泉道善の生首を鋸で引き落とすという、常軌を逸する殺害を行った。

主だった者の首を作手街道にさらし、いつの頃からか、ここを首塚と呼ぶようになった。

指がすくむような思いでキーボードを打っている。

なお城主の定忠は、1582年、飯田和久平で討たれ、菅沼家は断絶となった。

野遊人

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2017/07/07 07:22 | Comments(0) | お出かけ

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