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2024/05/04 19:58 |
透析昔話 その27 過疎地の病院に透析室を開設

ボクが勤めていたクリニック豊橋は、昭和56年に開院し、ボクは59年に入職した。

昭和56年当時の全国の透析患者数は42,223人、因みに一昨年の透析患者数は32万人。


昭和59年、東三河に透析施設は豊橋に3件、豊川に2件しかなく、過疎地に住む透析患者さんは豊橋もしくは豊川まで通わなくてはならない。


豊橋駅から東栄町の中心部まで58km、豊根村は75kmもあり、自家用車があれば通えなくはないが、高齢者にとっては容易なことではない。


当時、過疎地の患者さんは、透析を行う施設の近くにアパートを借りて透析に通院し、週末の透析を終えると自宅に帰っていた。


クリニック豊橋の三木院長(現三遠メディメイツ会長)は、この状況を何とかしようと、名古屋大学医学部の同級生であり、東栄病院の院長であった藤堂先生に、透析に携わるスタッフを当院で教育するから、透析室を開設できないかと持ちかけた。


すぐさま看護師2名と透析技士候補1名が派遣され、昭和61年(だったと思う)東栄病院に透析室がオープンした。


2名の看護師の他に、クリニック豊橋で働いていた、東栄町出身の独身の看護師が、透析室のオープンと同時に帰郷した。


実家から透析に通院することができるようになり、透析室の開設に尽力した三木院長や岡田事務長(現三遠メディメイツ相談役)は、患者さんから大変感謝されたことは言うまでもなし、他者を思いやる上司の下で、働くことができたスタッフは幸せ者だと思う。


野遊人

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2016/02/29 13:03 | Comments(0) | 臨床工学技士

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