豊橋伊古部町に「ささゆりの里」があり、今見頃を迎えている。
カミさんが行きたいと言うので連れて行ったところ、臨時の駐車場が設けられ、臨時のバス停まで設置されていた。
かつては部落一体に咲いていたそうだが、人が入植するようになってから次第に姿を消し、今では人が手を入れないと滅んでしまうのは皮肉なことだ。
地元の片の保護活動により、今では3,000本まで復活した。
おちょぼ口のササユリ
ササユリは大変成長が遅く、2年間は土の中(左)3年目(左から2番目)4年目(左から3番目)5年目(左から4番目)6年目(左から5番目)7年目で開花するそうだ。
「ささゆりの里」ではこのような句が掲げられている。おそらく地元の片の句でしょう。
震災鎮めの石碑
安政元年(1854年)11月4日午前9時頃と翌午前5時頃、二度にわたってマグニチュード8.4の地震に襲われ、伊古部村の大羽根山が800m押し出されて一つの島になったとある。
網元の仙太郎さんが、震災が二度と起こらないようにと建てられた。
高豊中学の生徒が、ゴミ拾いや野菜、花の販売の手伝いをして「ささゆりの里まつり」を盛り上げていることに拍手。
つくずく日本はいい国と思う。
野遊人
カミさんが行きたいと言うので連れて行ったところ、臨時の駐車場が設けられ、臨時のバス停まで設置されていた。
かつては部落一体に咲いていたそうだが、人が入植するようになってから次第に姿を消し、今では人が手を入れないと滅んでしまうのは皮肉なことだ。
地元の片の保護活動により、今では3,000本まで復活した。
おちょぼ口のササユリ
ササユリは大変成長が遅く、2年間は土の中(左)3年目(左から2番目)4年目(左から3番目)5年目(左から4番目)6年目(左から5番目)7年目で開花するそうだ。
「ささゆりの里」ではこのような句が掲げられている。おそらく地元の片の句でしょう。
震災鎮めの石碑
安政元年(1854年)11月4日午前9時頃と翌午前5時頃、二度にわたってマグニチュード8.4の地震に襲われ、伊古部村の大羽根山が800m押し出されて一つの島になったとある。
網元の仙太郎さんが、震災が二度と起こらないようにと建てられた。
高豊中学の生徒が、ゴミ拾いや野菜、花の販売の手伝いをして「ささゆりの里まつり」を盛り上げていることに拍手。
つくずく日本はいい国と思う。
野遊人
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