山を歩いていると○○城址の案内板に遭遇することがあり、「え~っこんなところに城があったの」と思わず口にすることがある。
今回訪れた宇利城址も戦国時代に建てられたものだ。
標高163mの小高い山に建てられ、雑木林の中を歩いていく。
戦国時代の当初、東三河は今川勢の勢力範囲であったが、今川の勢力が衰えた頃、松平清康は東三河に勢力を拡大して、吉田、牛久保、作手、田原、田峯、野田などの城主を従わせた。
宇利城は三方を山に囲まれた天然の要塞で、清康は苦戦を強いられたが、場内の松平方に通じた岩瀬庄衛門が城に火を放って決着がついた。
左の碑は熊谷実長のもの。
この井戸で、城内の水すべてをまかなっていたのだろうか。
どのくらいの規模の御殿か想像できないが、奥方などが住んでいたところでしょうか。
新城教育委員会が管理していて、手入れがきちんとされている印象を受けた。
野遊人
PR