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2025/04/20 13:13 |
宇利城址
78432cf7.jpg室町時代が終わり戦国時代に入ると、地方の武将が勢力を競い合い、各地に城が建てられた。
山を歩いていると○○城址の案内板に遭遇することがあり、「え~っこんなところに城があったの」と思わず口にすることがある。

今回訪れた宇利城址も戦国時代に建てられたものだ。
標高163mの小高い山に建てられ、雑木林の中を歩いていく。

戦国時代の当初、東三河は今川勢の勢力範囲であったが、今川の勢力が衰えた頃、松平清康は東三河に勢力を拡大して、吉田、牛久保、作手、田原、田峯、野田などの城主を従わせた。

559d6c52.jpgしかし、宇利城城主の熊谷実長はその命に従わず、1530年清康は3000の兵も持って宇利城を攻めた。
宇利城は三方を山に囲まれた天然の要塞で、清康は苦戦を強いられたが、場内の松平方に通じた岩瀬庄衛門が城に火を放って決着がついた。

左の碑は熊谷実長のもの。









2859fcb7.jpgさほど広くない山頂に宇利城城址の碑が建てられている。














993694e2.jpg
この井戸で、城内の水すべてをまかなっていたのだろうか。













0d44f1ea.jpg姫御殿
どのくらいの規模の御殿か想像できないが、奥方などが住んでいたところでしょうか。

新城教育委員会が管理していて、手入れがきちんとされている印象を受けた。

野遊人









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2012/01/25 10:26 | Comments(0) | お出かけ

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