分棟型釜屋建て農村民家、何のことかわからないと思うが、案内板にはこのように表示されている。
1821年に建築された、引佐町にある民家。
2007年に国の重要文化財に指定されている。

全く別の家をつなぎ合わせて、外から見るとひとつの家のように見える。
玄関から入ると中央に広い土間が展開し、右に物置と「うまや」、右に居住する間がある。
主屋と釜屋からなる形式の民家は、古くから遠江独特のもので釜屋建てあるいは橦木(しつもく)作りと呼ばれる。

内部の構造は上のようになっている。
釜屋の「うまや」では馬や牛が飼われていた。
岩手県南部地方に伝わる「曲り家」と同じように、家畜も家族同様の扱いだったのでしょう。

中に入ると竈があった。
右手に「うまや」がある。

鈴木家の模型も展示されていた。

手前に広間があり、奥に部屋が二つと台所がある。

外に出て西から写したもの。
平成11~13年にかけて修理が行われ、その時柱から「文政3辛巳年」の墨書、主屋の敷居から「天保己亥年立春造作」の墨書が発見され、建設年代と改造時期が判明した。
民家としては普通の農民が住んでいたのであろうか、それとも多少裕福な農民の住まいであったのだろうか。
野遊人
1821年に建築された、引佐町にある民家。
2007年に国の重要文化財に指定されている。
全く別の家をつなぎ合わせて、外から見るとひとつの家のように見える。
玄関から入ると中央に広い土間が展開し、右に物置と「うまや」、右に居住する間がある。
主屋と釜屋からなる形式の民家は、古くから遠江独特のもので釜屋建てあるいは橦木(しつもく)作りと呼ばれる。
内部の構造は上のようになっている。
釜屋の「うまや」では馬や牛が飼われていた。
岩手県南部地方に伝わる「曲り家」と同じように、家畜も家族同様の扱いだったのでしょう。
中に入ると竈があった。
右手に「うまや」がある。
鈴木家の模型も展示されていた。
手前に広間があり、奥に部屋が二つと台所がある。
外に出て西から写したもの。
平成11~13年にかけて修理が行われ、その時柱から「文政3辛巳年」の墨書、主屋の敷居から「天保己亥年立春造作」の墨書が発見され、建設年代と改造時期が判明した。
民家としては普通の農民が住んでいたのであろうか、それとも多少裕福な農民の住まいであったのだろうか。
野遊人
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