こんにちは
磐田メイツクリニック事務の川村です。
先日浜松市の遠州病院前駅のあたりを歩いていた際、こんなものを発見しました。
徳川幕府2代将軍秀忠公がここの産湯をつかったそうです。
その脇には「家康の散歩道」の看板が!
タイムマシンがあるなら徳川家康(とローマ皇帝アウグストゥス)に会いに行きたい私。
(庶民が簡単には会えないという別のハードルもありますが)
これは見逃せませんっ!!
さっそく散歩してきました
まずは東照宮(引間城跡)。
家康が祭られています。
引間城の面影を残すものはほとんどなさそうでした。
椿姫とは、家康との戦いで討ち死にした引間城の女城主お田鶴の方(おたづのかた)のことだそうです。
城を最後まで死守した女丈夫に感動した家康が塚を築き、家康の妻である築山御前が塚の周囲に椿を植えたことから「椿姫」と言われるようになったそうです。
(椿姫と聞いてデュマの小説の方を思い浮かべたのは私だけではないはず‥女丈夫…だいぶキャラが違いました。)
犀ヶ崖古戦場では家康軍の奇襲を受けた武田勢が崖下に転落し、多くの犠牲者を出したと言われています。
その後、崖底から戦死者の哭声が聞えたり、通行人がカマイタチに会ったり、農作物の不作や疫病の流行‥
コワいっ
写真を撮ってしまった後、あってはいけないものが写っていたらどうしよう‥と青くなりました
写真に何か不審な点を見つけた方、決して川村には知らせないでください
世の中には知らない方がいいこともありますよね、ねっ!
あっ本多肥後守忠真が写っていたならぜひ教えてほしいです
鎧掛松。
今まで全然気が付かなかったです。
建物の中はちょっとした博物館といった感じで、私が家康を好きになったきっかけと言える絵「しかみ像」の模写もありました
「しかみ像」は家康が三方原の戦いで武田信玄に大敗した際に、自らの戒めのために描かせたといわれています。
負けた時にどういう行動をとるかには、その人の性根が現れるなぁと思いました。
そして城の地下には井戸跡があります。
当時城の水脈は機密事項だったとのこと。
ライフラインを敵に握られたら致命的ですものね‥
当時のライフラインと言えば水と道路くらいかなと思いますが、今は電気・ガス・燃料・通信設備etc‥
発展にしたがって弱みが増えているような気が
この夏、中部では浜岡原発停止による電力不足が懸念されています
現代の生活において電気は、水の次になくては困るものではないかと思います。
メイツでは日頃からなるべく節電を心がけてはいるのですが、まだまだできることがあるかもしれません。
今後、患者さんはじめ関係者のみなさんにはご協力をお願いすることもあるかと思います。
その際はよろしくお願いいたします
まずはクーラーに頼らなくても(頼り切らなくても?)夏が乗り切れるよう、ウナギでも食べに行こうかと思います
前回の野遊人氏のブログを見て、お腹を鳴らしている川村がお送りしました
それではまた