昭和60年1月半ば午後7時のこと、市内の開業医の紹介状を持って、両親に付き添われて、中学3年生の少女が受診に訪れた。
三木院長が透析の必要性、そのためにはシャントの手術をしなければならないことを説明するが女の子は「イヤ、絶対にイヤ」を繰り返すばかり。
院長の奥さんが、患者会の旅行のアルバムを見せて、「生活の制限はあっても普通の暮らしができるよ」と言っても、かたくなに拒否する。
夜間透析が終わり、透析室のスタッフはいつでも透析ができるように待機している。
夜中の11時、ラチが明かないので、1月7日に透析導入したばかりの23歳の女性の患者さんに説得を依頼したところ、「透析をやらなきゃダメ!」の一言で彼女は透析の導入を納得した。
すぐに外シャント(これも絶滅危惧種になるな~)を作製して、無事透析を終えた。
翌日、院長が紹介先の医師に、電話で無事透析を終えたことを伝えると、「よく説得できましたね」と感心された。
説得した患者さんは、今でも元気に透析治療に通院している。
一方の少女は、名古屋市の高校入学に伴い名古屋市の透析施設に転院し、その後腎移植をしたと風の便りに聞いた。
今でも元気に暮らしているだろうか。
野遊人
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