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松平東照宮(その1)

徳川将軍家のルーツ「松平郷」に行ってきた。
徳川家康から数えて8代前・初代親氏は、徳阿弥と名乗る時宗の僧として松平郷に来た。
松平郷で松平太郎左衛門家の婿となり、勢力を拡大していった。
また松平城(郷敷城ともいう)を築いた。
松平郷の場所は、東海環状道{豊田松平IC]からR301号線、車で15分ほどのところにある。

駐車場の前に「笠かけのカエデ」ある。
僧として松平郷を訪れた親氏が、笠をかけて休息したところ。
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はじめ八幡宮と称して松平家の屋敷神であった松平東照宮。
1619年に家康が合祀されている。
理由はわからないが、親氏が合祀されたのは1965年のこと。
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東照宮の右手に、松平家に「関する資料を展示公開している資料館「松平郷館」がある。
拝観無料。
資料館の前に石碑が二つある。
ひとつは親氏の公願文。
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もうひとつは、松平太郎左衛門家20代松平信博の顕彰碑。
作曲家であった松平信博は、日活の映画「侍ニッポン」の主題歌を作曲し、その一節が書かれている。
作詞は西条八十で「人を斬るのが侍ならば、恋の未練がなぜ切れぬ・・・」
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松平家が代々産湯に用いた「産湯の井戸」
家康が生まれたとき、井戸の水を竹筒に入れて速馬で運び、産湯に用いたと言う記録が残っている。
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他にも「二の井戸」「三の井戸」が残っている。
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松平親氏没後600年の1993年に「松平郷園地」として一帯が整備された。
このとき親氏の像が建立された。
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園地を進むと「見初めの井戸」がある。
親氏が高月院を訪れた時、アヤメに見とれていると、水女姫が井戸の水に一輪の花を添えて差し出したのが、二人の出会いの始まりであったそうで、以後、若い男女が「見初めの井戸」で結ばれたそうだ。
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本日はこの辺で

野遊人



















 

 

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2011/10/05 09:59 | Comments(0) | TrackBack(0) | 豊橋メイツクリニック

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