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2024/04/26 23:47 |
袴田事件 裁かれるのは我なり
副題として「袴田事件主任裁判官39年目の真実」とある。



袴田事件とは、昭和41年6月30日、清水市のみそ製造会社の専務宅で、専務、妻、次女、長男の4人が小刀でメッタ刺しされた上、放火された事件。

8月18日、20日間の過酷な(真夏に毎日12~16時間にわたる)取り調べにより、従業員の袴田さんが自白し逮捕された事件である。

一審判決文は、死刑判決を出す根拠にとぼしい、およそ日本語としても支離滅裂の文章だった。

提出された袴田さんの供述調書45通のうち、証拠として採用されたのは、たった1通だけで、しかも他の44通の内容と異なった特別の内容があったわけではない。

即ちこの1通の自白調書を採用した論理的根拠は何もなかったのだ。

何故このような判決文になったのか、判決文を書いたのは3人の裁判官のうちの熊本典道主任裁判官で、この裁判官は無罪を主張したにもかかわらず、合議(多数決)により死刑を選択し、判決文は裁判所の慣例により、主任裁判官が書くことになっていたからで、無罪を主張する裁判官が死刑判決文を書くのは無理があるからだ。

熊本裁判官は半年後に裁判所を退官し、2007年3月、裁判所の慣例を破って「評議の秘密」(3人の裁判官のうち2人が有罪、1人が無罪)を語り、事件の概要、捜査の様子、地裁判決から最高裁判決、再審請求の展開をまとめたものである。

熊本元裁判官を中心にして作成した袴田事件の映画「BOX 袴田事件 命とは」を見逃しているので、ぜひ見たいと思っている。

野遊人

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2016/08/15 13:03 | Comments(0) | 雑記

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