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2025/04/06 00:23 |
中国残留孤児の父 山本慈昭と長岳寺
長岳寺は、武田信玄の遺体を火葬した寺と知っていたが、満蒙開拓平和記念館を訪れて、「大地の子」のモデルとなったことを初めて知った。

1945年5月、長岳寺の住職の山本慈昭さんは、満蒙開拓団(参加者330人)の教師として、51名の生徒と共に渡満。

8月、ソ連軍の侵攻と敗戦により、生きて帰ってきたのは42名、その内生徒はわずか6名。

山本さんはソ連軍に捕まりシベリアへ抑留。

1年7か月後に帰国した山本さんに聞かされたのは、妻と二人の子供は中国で死亡したとの報。

1964年、遺骨収集の許可を得るために訪中した山本さんに、肉親を捜しを求める手紙が届いたが、中国で文化大革命がおき、再度の訪中をすることができなくなった。

死の病で床に伏している開拓団員の一員であった田中与一さんは山本さんを呼んで「阿智の子はみな死んだと言ったが、それは作り話だ。子供たちの命を救おうと中国人に預けた。先生の長女の啓江ちゃんも中国人に預けられた」と衝撃の事実を明かした。

これをきっかけに中国残留孤児と肉親捜しの人生が始まる。

以上が中国残留孤児の父と呼ばれた山本慈昭さんのあらましである。

長岳寺山門



山本慈昭さんの肖像



新田次郎の句碑「木枯らしや いまはた遠き 信玄公火葬塚」



日中友好不戦塚



武田信玄公灰塚供養塔

 

こんなものも、「これは男のまたぎ石。女のまたぎ石は中関木槌山薬師堂前にあります、両方またげば子供は間違いなく授かります」とある。

     

 
「大地の子」をもう一度読み返して、再度長岳寺を訪れてみたい。

野遊人
 
 
 
 
 

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2016/03/23 08:11 | Comments(0) | お出かけ

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