仏足石
室町時代中期の作、築城当時は単なる石材として用いられた。
昭和初期、登山道整備していた時、崩れた石段の中から発見された。
お釈迦様の足を石段として利用し、多くの人に踏みつけられても、信長は何とも思わなかったのでしょう。
信長の本廟(墓所)
信長の太刀、烏帽子、直垂などの遺品が埋葬されている。
門から覗くと(暗くて申し訳ない)
天守から覗くと
そして今回のハイライト、天守
背丈ほどの高さの石垣に囲まれ、東西南北それぞれ約28mで、この部分は地階にあたる。
地階の上に高さ33mの木造高層建築の天守閣が建てられた。
五層七階(地上6階地下1階)当時としてはとてつもない建物であった。
信長公の菩提寺、摠見寺跡
安土城が火災で崩落したとき類焼を免れたが、安政元年(1854年)火災によりほとんどを消失。
昭和7年、大手門近くの徳川家康邸跡に仮本堂が建てられて今日に至っている。
まだ続く(それほど見どころいっぱい)
野遊人
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室町時代中期の作、築城当時は単なる石材として用いられた。
昭和初期、登山道整備していた時、崩れた石段の中から発見された。
お釈迦様の足を石段として利用し、多くの人に踏みつけられても、信長は何とも思わなかったのでしょう。
信長の本廟(墓所)
信長の太刀、烏帽子、直垂などの遺品が埋葬されている。
門から覗くと(暗くて申し訳ない)
天守から覗くと
そして今回のハイライト、天守
背丈ほどの高さの石垣に囲まれ、東西南北それぞれ約28mで、この部分は地階にあたる。
地階の上に高さ33mの木造高層建築の天守閣が建てられた。
五層七階(地上6階地下1階)当時としてはとてつもない建物であった。
信長公の菩提寺、摠見寺跡
安土城が火災で崩落したとき類焼を免れたが、安政元年(1854年)火災によりほとんどを消失。
昭和7年、大手門近くの徳川家康邸跡に仮本堂が建てられて今日に至っている。
まだ続く(それほど見どころいっぱい)
野遊人