臨床工学技士法が制定されたのは昭和63年、それまでは透析装置の保守・管理に携わるボクらは透析技士、あるいはテクニシャンなどと呼ばれていた。
施設によっては准看護師の資格を取らせていたところもあったが、多くは無資格で仕事にあたっていた。
そのような時代に、確か関東地方の施設と記憶しているが、以下の事件が起きた。
男性の透析患者が、女性の透析患者に好意をもち、ストーカー行為(当時そのような言葉はないが)を行うようになった。
困った女性患者は、通院する施設の透析技士に相談し、相談を受けた透析技士は男性患者に注意したところ、男性患者は逆恨みし、警察に“無資格で医療行為をしている”と訴え裁判になった。
人工透析研究会会長(日本透析医学会の前身)であり、東京女子医大移植外科医の故太田和夫先生が、被告側の証人に立つなど大きな話題となった。
昭和50年から60年にかけて医療は急速に発展した時期で、透析に限らず、人工心肺装置や人工呼吸器などの医療機器が開発された反面、それを扱うスタッフは各施設が自前で育て上げねばならない状況であった。
生命維持装置を扱う臨床工学技士の誕生のきっかけともなった前段の事件であった。
臨床工学技士法が制定された昭和63年から5年間の経過措置の間に、受験資格を得るための講習を受け試験に合格しないと、仕事に従事することはできなくなった。
受験資格を得るための受講に、半年間毎週日曜日、名古屋の中京病院に通ったことを懐かしく思い出す。
野遊人
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