本田宗一郎ものづくり伝承館に行く前に、二俣城址の案内があったので寄ってみた。
城址は二俣の市街を見下ろす小高い山の上にあった。



城址は二俣の市街を見下ろす小高い山の上にあった。
上洛を目指す信玄は遠州にある徳川方の城を分断するため、一宮城、飯田城、格和城、向笠城を攻め、わずか1日で攻め落とした。さらに匂坂城を落とし、これにより掛川城や高天神城は孤立し、家康は浜松城の城兵だけで戦うことを余儀なくされた。
二俣城は浜松城と掛川・高天神城の中間地点にあり、徳川軍の連絡網を断ち切り、武田軍の補給路を確保するために、落としておく必要があった。
二俣城は天竜川と二俣川の合流するところに建てられており、攻め口は、北東の大手口しかないため、武田軍は2万7000人をもってしても、1200人の城兵を攻めあぐねていた。
二俣城には井戸が無く、天竜川沿いの断崖に井楼を設けて、釣瓶で水を汲み上げていた。そこで信玄は大量の筏を天竜川の上流から流し、筏を井楼の柱に激突させて破壊し、水の補給を断った。水を断たれた中根正照は城を明け渡して浜松城へと落ちて行った。
下は天竜川
この戦いののち、三方が原の戦いへと続き、家康は大敗し、怖さのあまり脱糞した話は有名だそうだ。
二俣城には悲しい話がある。
家康の嫡子信康が、母築山殿と武田方に内通の疑いをかけられ、信長の命により自刃させられた所でもある。
満20歳であった。
城址の散策路には、こんな注意書きがあった。
「マムシに注意」って、どうすればいいの。
臆病者のボクは前進するのをやめた。
野遊人
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マムシは向こうからわざわざ寄っては来ないので、たまたま足を出した所にいたものを踏んだ蹴ったりしないように足元を見て歩けば大丈夫だと思います。
~実家付近にマムシが出没する川村でした~