武田勝頼は長篠の合戦の合戦の前年、高天神城を攻め落とした。
このことは長篠の合戦を調べた時仕入れた知識だ。
今年4月に参加した「掛川新茶マラソン」では、30km地点に設けられたエイドステーションは、高天神城の入り口だった。
エイドステーションで提供された“戦国汁”をすすりながら「ここが高天神城か、機会があったら来よう」と思い、先日訪ねてみた。
上の写真は南駐車場だが、左の写真のように、今年襲来した台風により、斜面の多くの木がなぎ倒され、通行が禁止されてい
「三日月井戸」
城を攻め落とした武田勢が、飲料水に恵まれるようにと水乞いの祈願をこめて作った井戸。
現在も岸壁から水が染み出ているそうだ。
元は東の峰の元宮にあったものを、1724年に西の丸に遷された。
1574年、武田軍攻撃の際、二の丸主将であった本間氏清が物見櫓で指揮をしていた時、鉄砲で撃たれて絶命。そのあと弟の丸尾義清が兄に代わって指揮をしたが、同じく鉄砲で撃たれて絶命した。
兄28歳、弟26歳
本日はここまで
野遊人
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