城に入るには、北駐車場の搦手門か南駐車場の追手門の二か所。
本丸を囲むように、二の丸、三の丸、西の丸が守りを固めている。
昭和9年に土方村出身の海軍軍医少将加藤安吉氏が建てた二層の模擬櫓があり、昭和20年に落雷で焼失し、今はコンクリートの基礎台のみが残っている。
このことからも堅い守りの城の様子がうかがえる。
大河内幽閉の石風呂(石窟) 天正2年の勝頼による攻撃で小笠原氏は開城したが、軍監大河内源三郎政局は留まり、勝頼の命に服さなかった。その為勝頼は政局を幽閉し、天正9年徳川軍によって落城するまで、この中ですごしたという。その忠節を賞し家康から恩賞が与えられたが、後に長久手の戦いで討死したと伝えられる。
7年もの間、この洞窟で過ごしていたとは驚きとしか言いようがない。
当時の建造物がないだけに、逆に歴史のロマンを彷彿させた高天神城址であった。
野遊人
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史跡巡りは、自分の頭の中で復元しながら当時に思いを馳せるのが一番楽しいと思います♪