それも一羽だけではない。
そ~と窓を開けて庭を眺めると、柿の木に三羽のメジロが遊んでいる。
でも10倍ズームのデジカメでは一羽しか、しかもピンボケになってしまった。
エサ台を設けて、もう一度挑戦しよう。
その時までお待ちください。
野鳥ってかわいいね。
野遊人
今週の月曜日にリハビリを行い、次のリハビリの予約を取ると年明けになるというが、とても2週間も痛みを我慢できそうもない。
そこでマッサージを受けようと、近所の接骨院に自賠責保険が適用できるかを確認したうえで訪問した。
治療を受けてビックリ、従来の接骨院のイメージが破壊された。
超音波や微弱電流を使用した医療機器が所狭しと並んでおり、それらの医療機器を使用した治療が主体だ。
整形外科クリニックとまったく違わない。
4種類の機器を使用して治療を行い、最後はマッサージ師によるマッサージで終了。
「治療に半年ほど要するかもしれませんが」と言われたが、どのくらい時間がかかろうとも、再びバイクに乗れるように、またランニングが再開できるように通院しようと決めた。
野遊人
22日午後8時、弟から「内線が通じなくて僕のところに電話があったけど、おふくろが息苦しいと言っている」と電話があった。
※内線が通じないのは、内線番号を間違え、自分の部屋の電話に番号していた。
カミさんと、たまたま家にいた三女と母親の部屋に行くと、ハーハーハーハーと過呼吸の様子。
血圧はさほど高くないが、脈は140と高く不整脈がある。
以前にも同様のことがありその時は自然に消失したが、今回は治まりそうもないのでカミさんが「救急車を呼ぼう」と言う。
我家は西消防署の近くなので、救急車はすぐに来た。
3人の救急隊員は血圧、SPO2、心電モニターなどのバイタルサインをチェック。
SPO2が96%(おそらく隊長が)酸素5Lを指示。
その間に、既往歴、現在通院している医療機関や服用している薬を聴収。
慣れているとはいえ、てきぱきした対応に感心した。
症状は治まってきたが、救急隊員は病院に搬送しましょうと、通院している成田記念病院に連絡し搬送の許可を得る。
成田記念病院で救急担当の医師の診察を受け、喘息の症状も出ているのでしばらく入院となった。
来年88歳になる母、今後もこんなことが繰り返されるだろうな。
野遊人
玄関は吹き抜けになっているので足場を組んで行われた。
足場を利用して、家を建築してから一度も清掃していない天井付近の窓ガラスや吊りライトのフードをのホコリを払った。
というのは、あまりに高すぎて自宅にあるハシゴでは届かないからだ。
これはクロスに糊を着け、数字を入力すればその通りにカットする道具。
職人さんたちの手際の良い作業は見ていても飽きない。
作業は一日半で終了。
壁は綺麗になったが、モコが着けたフローリングの爪後をどうするか。
自分で塗装の塗り直しができるかネットで検索するとかなり難しそう。
というより失敗するリスクの方が高い。
業者に任せた方が無難かな。
野遊人
百田尚樹著「永遠のゼロ」を読み、出光興産の創業者、出光佐三さんをモデルにした「海賊と呼ばれた男」に興味が湧き読んでみた。
その中に、出光佐三さんが「マルクスが日本に生まれていたら」を著していることを知った。
大企業の創業者とマルクス、一体どこに二人の接点があるのだろうと興味を持ち、豊橋図書館のサイトで検索すると著書があった。
「海賊と呼ばれた男」を読んだ多くの人が「マルクスが日本に生まれていたら」に興味を持ったが、1966年に刊行されたこの本はすでに書店にはなく、出光興産に多くの問い合わせがあり、昨年再刊された。
マルクスと出光さんは、思想の出発点と理想とする到達点が同じだというのだ。
(出発点)マルクスは資本家階級の搾取への反対が出発点であった。出光さんも学生時代、大阪の金持(成金)のあり方に反発し、「黄金の奴隷たるなかれ」と叫んで歩み始めた。
(到達点)マルクスは搾取のない、人間が人間らしく生活できる社会を目標とした。出光さんも人間が中心となって仲良く助け合い、その団結した力で平和に暮らす社会を目指した。
ところが両者がその思想に到達するために描いた道筋は異なるものであった。
マルクスは階級闘争が不可避であり、出光さんは人類愛の上に立った互譲互助、和の道を唱道した。
出光さんはこの違いの真意を様々な角度から探究した記録である(新版刊行にあたってより)
利益を上げるために若者を酷使して何とも思わないブラック企業、業績が悪化すればいとも簡単にリストラを行う風潮の中、出光さんの経営理念は出色であり、こういう方に政治を行ってほしいと思うのはボクだけではないように思った。
野遊人