26日は〇十〇回目のボクの誕生日(別に隠す必要もないんやけど)
市外に住んでいる娘たちが集まり、誕生日を祝ってくれた。
カミさんの手料理の手巻き寿司
長女からmont・bellのスポーツシャツ
次女はフレンチブルのモップとマグカップ。
よく見つけたねと言ったら、ネットで探せばあるよ。
三女からは月桂冠プレミアム大吟醸とアメリカ、タイ、ベルギーのビール。
ベルギーのビールは「日本では法令上発泡酒に分類される」と記載があるが、むろん三女は、分かっていて発泡酒を買ってきたわけではない。
よい家族に囲まれて幸せだ。
むろん、よいお父さんしてるからね。
野遊人
昨日のニュースで、千本桜で有名な奈良吉野山にある創業300年奈良の温泉「さこや」が、100%源泉かけ流しを謳っていたが、実は水道水を沸かして使用していると昨年9月匿名の報告があった。
県が調査すると、温泉を汲み上げるポンプが故障したため水道水を沸かして使用していたことが分かった。
県の指導に対して旅館の女将は
・偽装なんてありません。
・機械は故障しても直ることがあるやん。
・悪意でやっていない。
と、開き直りと思える対応をしていた。
この報道を聞いて、特定非営利活動法人「失敗学会」の講演を思い出した。
高級料亭の「吉兆」は客の食べ残しを他の客に出しており、「赤福」は売れ残った商品を、日付のラベルを貼り換えて売っていたことが判明した。
「吉兆」の記者会見では社長の後ろで“つぶやき女将”が言い訳を指南し、世間のひんしゅくをかい倒産。
一方「赤福」は謝罪した上で、日付のラベルを貼り換えられないよう対策を発表して業績を回復させた。
「さこや」の女将の言動は、「吉兆」の二の舞になることは間違いないであろう。
※日本失敗学会は、広く社会一般に対して失敗原因の解明および防止に関する事業を行い、社会一般に寄与することを目的とし、学会長は東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会委員長である畑村洋太郎さんが勤める。
野遊人
植村先生は磐田メイツクリニックの前身、駅南クリニックの初代院長で、磐田市立病院の院長を努めた医師で、ボクは駅南クリニックに赴任していた3年間お世話になった先生である。
御年86歳の先生、背筋がピンとして、話し方も年を全く感じさせない。
先生とは渓流釣りと山歩きの趣味が一致し、岡田相談役も渓流釣りでは先生と一緒に遠山川で竿を出していて、話は当時の釣りのことで盛り上がった。
宿で呑んだ岩魚の骨酒の旨かったこと、釣れなくてもいいから宿でまた酒を呑みたいね。
来月になると解禁になるが、5月になったら行きましょうか、など釣りと酒の話で盛り上がった。
先生は、暇だから医師としてまだ働きたいが、この年で働いていると恥ずかしいんだよと言っていたが、まだまだ十分働ける。
駅南クリニックで働いていた時、磐田メイツクリニックの現松本部長と、先生のことを「スーパー爺ちゃん」と呼んでいた。
スーパー爺ちゃんぶりは今でも変わりなく元気であった。
野遊人
クロールなら25m、平泳ぎはそれ以上泳ぐことができるが、クロールで遠泳ができるようになりたい(泳いでいる人を見るとかっこいいんだ)と、水泳が得意な長女にコーチを頼んだ。
長女は中学時代水泳部で、表彰台の常連で、アルバイトでスイミングのコーチをしていたことがある。
クロールを見てもらい、2ビートで泳いでみてと言う。
「2ビートができないんだ」と言うと、お父さんはお尻が沈んでいると言う。
つまり身体が反った状態で泳いでいるから足が沈み、足が沈まないようにとバタ足の回数が多くなるのだ。
ボクは体を真っ直ぐに保たなければならないと思い、これまで意識的にその姿勢で泳いできたが、身体に力が入ってしまいお尻が沈んでしまうと指摘を受けた。
でも、長年身につけてしまった癖は簡単にはもとに戻せない。
水泳の基本の蹴伸びをやってみてと、見本を見せてもらいやってみるが・・・
頭が沈んで、きれいな蹴伸びになっていない。
肩関節が固くて、腕が頭の後ろに回らないのだ。
蹴伸びができないと、次の行動に移った時バランスを保てないそうだ。
ビート板の助けを借りてバタ足をするが、やはりお尻が沈んでスピードがでない。
ドルフィンキックはなおさらダメで、キックになっていない。
頭の位置が高いのでお尻が沈んでいる、お尻が上がっていてきれいな2ビートで泳いでいるなど、両隣で泳いでいる人のフォームを解説してもらった。
さて、これからどうしよう。
2ビートのクロールで泳げるようになるか、とりあえず一生懸命頑張る。
野遊人
精神科医であり作家である加賀乙彦の自伝的小説、永遠の都(7部)と雲の都(5部)の長編を読んでおり、最終章の「雲の都 鎮魂の海」は、時期を同じくして20年前に発生した淡路・阪神大震災に差し掛かった。
震災発生当初の著者の感想は
「政府の動きは鈍く、村山首相は対策会議のみ重ねてなんら抜本的な対策を打ち出せないでいる。政治家としてなんと凡庸な人であろう」とある。
ボクもまったく同じ感想で、対策を打ち出せないでいる村山首相にTVのキャスターがインタビューし「何分初めてのことで・・・」の返答に、これが一国の総理の答かと驚愕した。
そんな政府の無策を尻目に現地では、各地から集まった若いボランティアが活躍していた。
当時65歳の著者はこの時ボランティアの精神科医として現地に赴き、若い精神科医では手に負えない患者の診察に当たっていた。
この時の状況を次のように記している。
日が暮れると、避難所を巡回診療していたボランティアの医師たちが帰ってきた。
みんな20代、30代の若い人たちだ。
東の鉄道が寸断されているために、西のほう九州、岡山あたりの人が多い。
その所属する医局では、一番診療に忙しい人たちだ。
そういう人たちが災害地に駆けつけているのに、暇なはずの60代の医師が一人もいないのに、悠太(加賀乙彦)は恥ずかしく思った。
「いまどきの若いもんは」と若者を馬鹿にしたように見下す60代が、いざという災害のときになにもしないのだ。
若いボランティアの活躍を見て、多くの日本人は若者たちの優しさとパワーを感じ取ったのではなかろうか。
野遊人