もちろんオミソを連れて、本堂までの15分の参道を、オミソはグイグイ引っ張っていく。
こちらが疲れる。
「袋井観光応援団」と書かれた自動販売機、先月訪れた可睡斎や、袋井メロンマラソンに出場したときには気付かなかった。
「良縁祈願」で御祈祷を受けなくてよかったと長女、何故なら名前と年を読み上げられるから。
駐車場に咲いていた梅、満開だ。
御祈祷を受けた後、焼津さかなセンターへ昼食を食べに行く。
ツアーバスが何台も駐まっていて、相変わらず多くの人でにぎわっている。
左はボクが注文した大トロ赤味丼、右は三女が注文した中トロ丼、長女はアジとビンチョウの二色丼で、カミさんは海鮮丼を注文。
マグロのカマやホウボウの干物などのお土産を購入して、「相良子生まれ温泉」へ。
サウナを出た後水風呂に入るのだが、滅茶苦茶冷たく、1分と入っておられない。
ヌルヌル感たっぷりのいい温泉だった。
遠州の七不思議「子生まれ石」がすぐ近くにあるので寄ってみる。
あまりよい写真ではない、岩の壁からポッコリ丸い石が飛び出ている。
それがいくつもある。
久しぶりに娘たちと行動し、楽しい1日でした。
野遊人
ボクが就職したクリニック豊橋は、開院した昭和56年当初は、ガンブロ社のAK-10を使用していたが、日機装社からバイカーボ透析が可能で、除水コントローラがついたDBB22が発売され、バイカーボ透析と除水コントローラの優位性は非常に高く、昭和62、3年にはAK-10は(勿体ないけど)廃棄し、透析装置はDBB22、DCS22、それにニプロ社製のNCD11になった。
日機装の透析装置の除水方式は、除水ポンプで設定分の除水を行う容量制御方式で、ニプロの装置は、設定された除水速度に対して必要な圧力、TMPをかけて行うTMP制御であった。
ニプロのTMP制御方式をもう少し詳しく説明すると
透析開始直後、15分後、30分後、1時間後、後は1時間ごとに、100mmHg(200mmHgだったかな?)のTMPをかけてECUMを行い、装置内のシリンダーが一定量になる時間を計測して、使用しているダイアライザーのUFR(限外濾過率)を検出するもの。
除水速度とUFRから、除水速度÷UFR=TMPが設定される。
透析の経過とともにダイアライザーの膜は目詰まりを起こすのでUFRは低下するが、UFRを測定するたびに膜の目詰まり分を補正してTMPをかけるので、除水は正確に行われる。
若い男性患者に旭メディカル製のPAN(ポリアクリニトリール)膜を使用することになったが、透析を終えて体重計の乗ると1kgほど過除水になっていた。
おそらく測定ミス(透析前、荷物を持って体重計測した等)だろうと判断して、次回の透析もPAN膜を使用したところ、同じ状況になった。
これは何かあるが、メーカーに連絡しても「そんなはずはない」と取り合わない。
以来どうしてだろうと、ボクの頭はこのことから離れずにいたが、UFRの高い膜のUFRは、直線ではなく放物線を描くことに気づいた。
ところがNCD11はUFRを直線としてTMPを算出しているので、UERが高くなるほど誤差が生じることに気づいた。
図で説明しよう。
100mmHgのTMPをかけてECUMを行ってUFRを測定し、必要なTMPが40mmHgだとすると、UFRの高い膜のUFRは放物線を描くため、必要以上の除水(緑色の矢印)=誤差が生じる。
早速設計者を呼んで説明し、当初、ボクの報告に耳を貸さなかった設計者は、グーの音も出さずに戻り、後日UFRを測定する回数を増やしたプログラムを持参したが、透析量(当時は透析効率と呼んでいた)が落ちるようなプログラムは容認できないと指摘した。
これを契機にニプロは、容量制御のNCU-10の開発に入った。
野遊人
いなさJCTと豊田東JCTが13日開通する新東名高速道は、長篠の戦いがあったところを走る。
武田軍は豊川を挟んで、長篠城の東に、久間砦、鳶ヶ巣砦、君ヶ伏床砦、姥ヶ懐砦、中山砦を築いた。
新東名の建設に伴い、中山砦の史跡が失われることに危機感を持った郷土史家が、自治体やNEXCO,建設会社とかけあい、史跡を残し、新たに造成されたので覗いてきた。
新東名の高架下を登っていくと通行止めになっているが、左手に階段があり、そこを登ると何もない!
建設中の新東名の反対を見ると櫓があるので行き先を間違えたことに気づいた。
そこから見た新東名の乗本トンネルの建設現場
一度下って212段の長い階段を上る。
最近作られた櫓
「中山砦跡碑」と史跡の案内もある。
右の銘板を拡大すると
信玄が大野田城を攻めた時、時雨が上がったので蓑を掛けたと言われている松で、大正末に枯れて切り倒されたそうだ。
鎧掛け松は浜松城の近くにもあり、こちらは家康が利用した松。
中山砦から豊田方面を眺めると新東名が美しく伸びている。
岡崎にいる徳川家康に援軍を求めるため城を抜け出た鳥居強右衛門が、城脱出を知らせる狼煙を上げ、援軍来たるのの狼煙を上げた山が前方にある。
武田軍の本陣、医王寺を見下ろすことができる。
中山砦から乗本トンネルを見る。
目をやや左に向けると、何度も登った棚山や鳳来寺山が見える。
212段の階段は少々きついが、歴史に思いを寄せて、景色を眺めにいらしてはいかがか。
13日の開通が楽しみだが、交通量が落ち着いた頃を見計らって新東名を走ろう。
野遊人
昭和60年1月半ば午後7時のこと、市内の開業医の紹介状を持って、両親に付き添われて、中学3年生の少女が受診に訪れた。
三木院長が透析の必要性、そのためにはシャントの手術をしなければならないことを説明するが女の子は「イヤ、絶対にイヤ」を繰り返すばかり。
院長の奥さんが、患者会の旅行のアルバムを見せて、「生活の制限はあっても普通の暮らしができるよ」と言っても、かたくなに拒否する。
夜間透析が終わり、透析室のスタッフはいつでも透析ができるように待機している。
夜中の11時、ラチが明かないので、1月7日に透析導入したばかりの23歳の女性の患者さんに説得を依頼したところ、「透析をやらなきゃダメ!」の一言で彼女は透析の導入を納得した。
すぐに外シャント(これも絶滅危惧種になるな~)を作製して、無事透析を終えた。
翌日、院長が紹介先の医師に、電話で無事透析を終えたことを伝えると、「よく説得できましたね」と感心された。
説得した患者さんは、今でも元気に透析治療に通院している。
一方の少女は、名古屋市の高校入学に伴い名古屋市の透析施設に転院し、その後腎移植をしたと風の便りに聞いた。
今でも元気に暮らしているだろうか。
野遊人
武田軍と織田・徳川連合軍が戦った長篠の合戦(設楽原の合戦)では、連合軍は馬防柵で、武田軍の騎馬隊の力を封じ込めた。
我が家には馬防柵ならぬ犬防柵を階段の2段目に取り付けて、オミソの襲撃を防いでいる。
犬防柵とは少し大袈裟で、単なる衝立。
2階へ上がると悪戯ばっかり。
塗り壁は舐めて崩し、襖は破り、ボールペンや洗濯物を干すピンチは粉々、さらにオシッコをチビる。
ボクが2階へ上がると、このように待っているが、ギャンギャン吠えまくることはなく、比較的おとなしく待っている(その辺は褒めたい)
2階で録画した番組などを観る時は、長いこと待たせては可哀そうなので、短いリードを付けて悪戯しないようにしている。
1段目で待っていることもある。
野遊人
