城跡だけでなく、産業遺産の見学も楽しみの一つで、強風が吹く中、バイクで行ってみた。
これが入り口
これが資料館だが、展示物が少なく物足りない。
相良油田は明治5年に発見され、翌年から操業が始まった。
現在の油田と比べるとはるかに浅く、浅いもので21m、深いもので182m。
当然当時は機械化されておらず、井戸の底に入って人力で原油を汲み出すので、右の人は、たたら(踏鞴)と呼ばれた大型のふいごを踏んで空気を送る。
復元された井戸。
これも復元された井戸。
相良油田の里公園はバーバキュー広場があり、食材を持ち込んで無料でバーベキューを楽しむことができるが、何となく違和感を覚える。
相良油田の里公園から外れたところに、現存する機械式の井戸がある。
昭和25年に開杭されたもので、深さ310m。
近ずくと油の臭いがプンプンで、今にも原油が出てきそうな気がする。
この井戸の奥に、復元された井戸がある。
中を覗くと、復元された井戸と大型の踏鞴(たたら 左の箱)がある。
4~5人が乗り、上下交互に踏んで、井戸の底で作業をする人夫に空気を送る(実際に動くことができる)
井戸の底での作業は相当きつく、囚人を使ったこともあった。
この施設の奥は、観光クリ園になっていて、シーズンにはかなりの人が来るそうだ。
見学を終えたのが12時過ぎ、お腹が空いたので先日訪れた「相良子生まれ温泉」に行き、温泉に入って食堂で蕎麦をいただいた。
今月末までのサービスで入浴料(550円)と食事で1200円のセットメニューがある。
天セイロ蕎麦を注文。味は期待しなかったが、予想に反して美味しい蕎麦だった。
チケットに番号が印字されていて、毎月1日に抽選があるので、来月も訪れる予定。
野遊人
先日の日曜日、女性だけのツーリングクラブ「東海レディースライダースクラブ」の“苺狩りツーリング”に、サポート役として参加した。
当日は悪天候になり、全員バイクをあきらめて4輪での参加となった。
そのため子供連れの参加者も多く、総勢30人を超えるものになった。
場所は田原市の「おざきいちご園」1時間食べ放題、参加者一人一人いくつ食べられか、勝負の火ぶたが切って落とされた。
見事な苺だが、大きいのを狙うと数が伸びないので、比較的小さいのを食べるようにするが、50個食べたところで「もういい」
それでも年の数は食べようと、何とか70個まで食べた。
何度もこのイベントに参加している常連さんは、持参の塩煎餅を食べながら飽きを防止している。
食べ尽くされた残骸。
11時になったところで勝負は打ち切られ、パスタとピザの「ハッピーバレー」に移動
ここで順位の発表。
レディース1位 111個、メンズ1位 110個、ジュニア1位 111個
参加者全員が食べた苺は1919個、よく食べたな~
レストランの前の菜の花、春の到来がうれしい。
ここで集合写真を撮影
ライダースクラブは結成12年になり、それなりに皺と脂肪が増えている?
今日はバレンタインデー、たくさんいただきましたが、来月のホワイトデー(お雛様ツーリング)が怖い!
野遊人
ボクの車にもしっかりと積もっている。
オミソは待ってくる落ち葉を咥えようと飛びつく習性があり、舞い落ちる雪に対しても同様で、ジャンプして雪を食べようとする。
先日オフロードバイクのオイルの交換にレッドバロンに行ったら、リアのブレーキパッドは摩耗して全くなく、ディスクに傷がついているので交換しなければならないと言われた。
エ~!
23,000kmでタイア交換したとき、ブレーキパッドの交換を要しますと連絡が入り、交換したとはずなのに?フロントだけだったのかな?
部品を注文して、昨日交換した。
before after
ディスクに筋状の傷がついている。
12,800km走行のバイクを購入、23,000kmでフロントブレーキのパッドを交換、現在の走行距離は25,650km。
多分バイク購入時ブレーキパッドを交換しているから、10,000kmを目安に交換しなければならない。
バイクのブレーキパッドの摩耗はこんなにも早いんだ。
磐田メイツクリニックに車で通勤していた時、年間3万km走行したが、2年ごとの車検の間に交換する必要はなかったのだが。
保守点検を怠ったツケが、ディスクを交換するはめになった。
反省
野遊人
さらにロードマップには「滝沢展望台」のほど近いところに「太平洋富士見平」の文字が記載されており、以前より気になっていた。
天気が良いことだし、ちょっとバイクで出かけてみた。
太平洋富士見平の立て看板とともに、奥には東屋がある。
360度の大展望だが、ところどころ立木が邪魔をしているのが難点だ。
東屋には山名版があり
富士山の方向を見るが・・・見えない。
浜松市街、アクトシティがはっきりと見える。
風車がある山は滝沢展望台があるところ。
ロードマップには大平城址が記載されているので、せっかくここまで来たので覗いてみることに。
このような石段が3段あり、しかも一段一段が高いので結構キツイ。
大平城は、南北朝時代(14世紀 約650年前)の山城(尾根式複郭型山城)。
城は、自然の地形を利用して、曲輪を形成している。
内部は南城と北城の二区画に区分され、一城別郭の形態を成している。
大平城は南朝側についた井伊氏の支城の1つとして築かれ、井伊氏は、三嶽城(引佐町)を中心に、南を浜松市の鴨江城、西を三ヶ日町の千頭峯城、東を大平城と支城を固め、後醍醐天皇の皇子の宗良親王を迎え、南朝勢力の中心となった。
大平城の攻防戦は、暦応2年(延元4年・1339)から翌3年(興国元年・1340)にかけてくりひろげられ、北朝側の勝利に終わった。(浜松市のHPより)
現在は神社になっている。
帰途、「鷲澤風穴」「滝沢鍾乳洞」の案内看板があり、そうだ、昨年10月に来たところだった、と思い起こした。
野遊人
店の前は登呂遺跡、今日は遺跡見物が目的ではないので写真だけ収めた。
食事が予定より大幅に遅れたが、予定通り富士山の絶景ポイント、浜石岳に行く。
細いクネクネ道は、シェルパできて正解。
これが浜石岳からの富士山。
例年なら雲がかかっているところまで雪があるが、今年は暖冬の影響でほとんど雪がない。
三保の松原で有名な半島
メンバーの一人が薩埵峠からの富士山が見たいとの申し出があり寄ることになった。
広重の東海道53次で有名なところ。
現在の眺め、国道1号線と東名高速が交る有名な光景。
ここでは多くのカメラマンがカメラを構えて、シャッターチャンスを待っている。
おそらく、夕陽に写される赤富士を狙っているのだろう。
ここで解散となる。
時間は4時を過ぎていたので、ボクは清水ICから東名高速に乗って帰宅することにした。
無茶苦茶寒かったが、6時50分に無事帰宅。
メンバーにメールで帰着報告をして、冷えた体を風呂に入って温めた。
野遊人