九州自動車道 益城熊本ICを下りると、屋根にブルーシートが掛けられた家屋が多く目に入ってきた。
中には屋根瓦がくずれているにもかかわらずシートが掛けられていない家屋もあり、それらは被災が激しく、住むことができず家を放棄したものと思われた。
キャンプ場へ行く途中にあったお墓は、すべて墓石が倒壊していた。
しかしその状況を写真に収めるわけにはいかない。というのは
災害ボランティアの活動中の「10の心がまえ」に
被災した家屋の前でのボランティアの集合写真の撮影や、被災者との記念撮影をお願いする行為は、被災者の心情を考慮して絶対にしないでください。とあるからだ。
しかし、動物ボランティアの活動を行っている時スタッフの方から、FBでここの状況を発信してくださいと依頼され、撮影した写真がある。
真新しい12戸の家が立ち並ぶ住宅地は、私道であるがために崩れた道路は私費で直さねばならないのは、あまりにも可哀想ではないかと言われた。
私道を修復するには数百万円かかるそうだ。
一見すると家屋は壊れていないように見えるが、造成地であるがため土台の土が流れ緩んでいて住むことができないそうだ。
ご覧のように家屋は沈んでいる。
どの家も恐らく築5年くらいではなかろうか、全戸避難している。
地震の非情さに声が出ない。
野遊人
中には屋根瓦がくずれているにもかかわらずシートが掛けられていない家屋もあり、それらは被災が激しく、住むことができず家を放棄したものと思われた。
キャンプ場へ行く途中にあったお墓は、すべて墓石が倒壊していた。
しかしその状況を写真に収めるわけにはいかない。というのは
災害ボランティアの活動中の「10の心がまえ」に
被災した家屋の前でのボランティアの集合写真の撮影や、被災者との記念撮影をお願いする行為は、被災者の心情を考慮して絶対にしないでください。とあるからだ。
しかし、動物ボランティアの活動を行っている時スタッフの方から、FBでここの状況を発信してくださいと依頼され、撮影した写真がある。
真新しい12戸の家が立ち並ぶ住宅地は、私道であるがために崩れた道路は私費で直さねばならないのは、あまりにも可哀想ではないかと言われた。
私道を修復するには数百万円かかるそうだ。
一見すると家屋は壊れていないように見えるが、造成地であるがため土台の土が流れ緩んでいて住むことができないそうだ。
ご覧のように家屋は沈んでいる。
どの家も恐らく築5年くらいではなかろうか、全戸避難している。
地震の非情さに声が出ない。
野遊人
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夜が楽しいってどういうこと?それは明日の心だ!と、昨日のブログに記載したが、ボランティアとしての作業報告を先にすべきと思い、夜が楽しい話は後日に延期する。
これが西原村災害ボランティアセンター。「がまだすばい!西原村!」の看板が。頑張ろうぜ!西原村!
8:30受付をすませ、センターから発行される名札に氏名を記載し左肩に貼る。
名札は泥棒と勘違いさせない措置。
センターのスタッフが作業内容と必要人数を告げ希望者を募る。
西原中学の避難所の清掃を告げられたが誰も手を上げない。
ボクもそうなのだが、多くの人は個人宅のガレキの処理を希望しているようだ。
現場へは送迎してくれるが、車に積んできた原チャリで現場へ移動した。
避難所である体育館は、ビニールシートに布団が敷いてあり、隣とを隔てる壁など一切ない。
作業が終わったら、中学校の玄関の泥を除去してほしいとの依頼がスマホに入り、それを行いセンターに帰ると、今日の作業は終了。
そして翌日はセンターが休みで作業はないが、何か作業がしたいと願い出て、エアーテントの組み立てをおこなった。
作業がなく、意気込んで熊本に来たのに、意気込みが空回り状態。
3日目は川原小学校の避難所と、避難所に設置された10人ほど入浴できる風呂の清掃を行った。
※ここは西原中学の避難所と違い壁で仕切られているが、壁の高さは150cmだから丸見え、女子中学生の制服が2着ハンガーにかかっていたのを見たときは心が痛んだ。
4日目もセンターが休みだが、動物ボランティアの仕事を申し出た。
避難先にペットを連れて行けないので、散歩ができないご主人に代わり犬の散歩を行った。
ボランティ最終日は、米子高専が考案した、おもちゃのブロックのような木のブロックを組んでブレハブを作り、中に4つのシャワーを入れるもの。
風は心地よいが、日差しが強く、しっかりと汗をかいた。
5日間のボランティアは、少々物足りないものだったが、いろいろ収穫はあったので、それは後日お伝えしましょう。
野遊人
これが西原村災害ボランティアセンター。「がまだすばい!西原村!」の看板が。頑張ろうぜ!西原村!
8:30受付をすませ、センターから発行される名札に氏名を記載し左肩に貼る。
名札は泥棒と勘違いさせない措置。
センターのスタッフが作業内容と必要人数を告げ希望者を募る。
西原中学の避難所の清掃を告げられたが誰も手を上げない。
ボクもそうなのだが、多くの人は個人宅のガレキの処理を希望しているようだ。
現場へは送迎してくれるが、車に積んできた原チャリで現場へ移動した。
避難所である体育館は、ビニールシートに布団が敷いてあり、隣とを隔てる壁など一切ない。
作業が終わったら、中学校の玄関の泥を除去してほしいとの依頼がスマホに入り、それを行いセンターに帰ると、今日の作業は終了。
そして翌日はセンターが休みで作業はないが、何か作業がしたいと願い出て、エアーテントの組み立てをおこなった。
作業がなく、意気込んで熊本に来たのに、意気込みが空回り状態。
3日目は川原小学校の避難所と、避難所に設置された10人ほど入浴できる風呂の清掃を行った。
※ここは西原中学の避難所と違い壁で仕切られているが、壁の高さは150cmだから丸見え、女子中学生の制服が2着ハンガーにかかっていたのを見たときは心が痛んだ。
4日目もセンターが休みだが、動物ボランティアの仕事を申し出た。
避難先にペットを連れて行けないので、散歩ができないご主人に代わり犬の散歩を行った。
ボランティ最終日は、米子高専が考案した、おもちゃのブロックのような木のブロックを組んでブレハブを作り、中に4つのシャワーを入れるもの。
風は心地よいが、日差しが強く、しっかりと汗をかいた。
5日間のボランティアは、少々物足りないものだったが、いろいろ収穫はあったので、それは後日お伝えしましょう。
野遊人
熊本地震の災害ボランティアに参加し、その様子をフェイスブック(以下FBと略す)に掲載したが、改めて職員ブログに掲載する。
当初、5月のGW明けに行こうと予定を立て、熊本市や益城町など、地震に被災した自治体のFBで現地の様子を伺うと、依頼者数よりボランティアの方が多く、連日受付を打ち切っている。
※ご参加の際は、各災害ボランティアセンター・生活復興支援ボランティアセンターの情報発信サイトの最新情報をご確認ください。 (HP:ホームページ、FB:フェイスブック、Tw:ツイッター)とある。
5月の中旬から、市民病院外来受診や年金の手続きなど、こまごまとした私用があり、ボランティアに出発したのは6月5日であった。
ボランティアの食事や宿泊は、各自で確保するのが基本で、周辺の民宿などは工事関係者や被災者で埋まっていることが予想されたので、西原村の「風の里キャンプ場」を予約しておいた。
※就活中の三女もボクより先にボランティアに行っており、その時ボランティアセンターからかなり離れた民宿を確保せざるを得なかった。
西原村まで950km、夕方までにチェックインしなければならないので、午前3時に自宅を出た。
東名、伊勢湾岸、第2名神、山陽道、九州自動車道などを乗り継いで、11時間かけてキャンプ場に到着。
受付をしようと管理棟に行くが誰もいない。
それもそのはず管理棟のエアコンの室外機はあらぬ方向に飛び、土台は破壊されて居住できないので、トレーラーハウスに移動していた。
早速テントを張る。これが今夜から1週間、マイハウスになるボクのテント。
常設テントはSnow Peakのもので、急遽取り寄せたか寄付を募ったものと思われる。
常設テントはすべてふさがっているのではないので、自分の1人用の狭いテントでなく、こちらのテントの方がよかったな。
このキャンプ場は地震発生当初、地滑りや地割れなど見つかり閉鎖されていた。
車中泊やテント泊するボランティアに空き地を提供していたが、作業を終えたボランティアの人たちの、連日遅くまでの話声がうるさいと苦情があり、そこは閉鎖されてこのキャンプ場が使用されることになった。
もちろんコテージはこのような有様なので、コテージは使用禁止である。
キャンプ場の炊事場から眺めたもの、阿蘇山系に囲まれたとても素晴らしい施設で、作業を終えた夜がとても楽しい。
夜が楽しいってどういうこと?それは明日の心だ!
野遊人
当初、5月のGW明けに行こうと予定を立て、熊本市や益城町など、地震に被災した自治体のFBで現地の様子を伺うと、依頼者数よりボランティアの方が多く、連日受付を打ち切っている。
※ご参加の際は、各災害ボランティアセンター・生活復興支援ボランティアセンターの情報発信サイトの最新情報をご確認ください。 (HP:ホームページ、FB:フェイスブック、Tw:ツイッター)とある。
5月の中旬から、市民病院外来受診や年金の手続きなど、こまごまとした私用があり、ボランティアに出発したのは6月5日であった。
ボランティアの食事や宿泊は、各自で確保するのが基本で、周辺の民宿などは工事関係者や被災者で埋まっていることが予想されたので、西原村の「風の里キャンプ場」を予約しておいた。
※就活中の三女もボクより先にボランティアに行っており、その時ボランティアセンターからかなり離れた民宿を確保せざるを得なかった。
西原村まで950km、夕方までにチェックインしなければならないので、午前3時に自宅を出た。
東名、伊勢湾岸、第2名神、山陽道、九州自動車道などを乗り継いで、11時間かけてキャンプ場に到着。
受付をしようと管理棟に行くが誰もいない。
それもそのはず管理棟のエアコンの室外機はあらぬ方向に飛び、土台は破壊されて居住できないので、トレーラーハウスに移動していた。
早速テントを張る。これが今夜から1週間、マイハウスになるボクのテント。
常設テントはSnow Peakのもので、急遽取り寄せたか寄付を募ったものと思われる。
常設テントはすべてふさがっているのではないので、自分の1人用の狭いテントでなく、こちらのテントの方がよかったな。
このキャンプ場は地震発生当初、地滑りや地割れなど見つかり閉鎖されていた。
車中泊やテント泊するボランティアに空き地を提供していたが、作業を終えたボランティアの人たちの、連日遅くまでの話声がうるさいと苦情があり、そこは閉鎖されてこのキャンプ場が使用されることになった。
もちろんコテージはこのような有様なので、コテージは使用禁止である。
キャンプ場の炊事場から眺めたもの、阿蘇山系に囲まれたとても素晴らしい施設で、作業を終えた夜がとても楽しい。
夜が楽しいってどういうこと?それは明日の心だ!
野遊人
熊本地震の災害ボランティアに行くことを決め、手続きをとった。
行先は一番被害が大きかった益城町。
益城町の災害ボランティアセンターに、所定の用紙に記入してFAX送信すると受け入れ許可の返信があり、それを豊橋市の資産経営課に提出すると、災害派遣従事車両証明書が発行され、高速道路等の通行料が免除される。
東名高速音羽ICから伊勢湾岸、東名阪、新名神等から神戸に行き、神戸からフェリーで新門司に行き、熊本に行く予定。
どのような活動になるかは行ってみないとわからないが、一週間ボランティア活動する予定。
活動の様子はフェイスブックに掲載する予定なので、FBをご覧ください。
野遊人
行先は一番被害が大きかった益城町。
益城町の災害ボランティアセンターに、所定の用紙に記入してFAX送信すると受け入れ許可の返信があり、それを豊橋市の資産経営課に提出すると、災害派遣従事車両証明書が発行され、高速道路等の通行料が免除される。
東名高速音羽ICから伊勢湾岸、東名阪、新名神等から神戸に行き、神戸からフェリーで新門司に行き、熊本に行く予定。
どのような活動になるかは行ってみないとわからないが、一週間ボランティア活動する予定。
活動の様子はフェイスブックに掲載する予定なので、FBをご覧ください。
野遊人
今月で定年退職となるボクは、来月、熊本に災害ボランティアに行こうと考えている。
しかし、現地は災害ボランティアを募集していない。
というのは、災害ボランティアを募集すると渋滞に拍車をかけ、治まらない余震にボランティアの安全が確保できないので、ボランティアセンターが開設されていないのが現状のようだ。
4輪では駐車場の確保に不安あるし、行った先で足が欲しいので、オフ車のバイク、シェルパで行こうと考えている。
被災者と工事関係者で、おそらく宿は確保できないので、キャンプ道具(山歩きをしているのでテントやシュラフ、ガスコンロは完備)を積んで、野宿しようと考えている。
せっかく遠路を行くのだから、一週間以上の滞在を考えているが、果たして体力が持つか。
洗濯ものはコインランドリーを利用するしかないのかなぁ。
災害ボランティアの経験がある方、アドバイスがあればコメントください。
野遊人
しかし、現地は災害ボランティアを募集していない。
というのは、災害ボランティアを募集すると渋滞に拍車をかけ、治まらない余震にボランティアの安全が確保できないので、ボランティアセンターが開設されていないのが現状のようだ。
4輪では駐車場の確保に不安あるし、行った先で足が欲しいので、オフ車のバイク、シェルパで行こうと考えている。
被災者と工事関係者で、おそらく宿は確保できないので、キャンプ道具(山歩きをしているのでテントやシュラフ、ガスコンロは完備)を積んで、野宿しようと考えている。
せっかく遠路を行くのだから、一週間以上の滞在を考えているが、果たして体力が持つか。
洗濯ものはコインランドリーを利用するしかないのかなぁ。
災害ボランティアの経験がある方、アドバイスがあればコメントください。
野遊人