これには相当数の冤罪が含まれているとみるのが妥当であり、事実、足利事件、布川事件、松山事件など、再審によって無罪が確定した事件からも伺える。
では何故冤罪が生まれるのか、今読んでいる「検事失格」(市川寛著)に衝撃的なことが書かれている。
原文(青字)のまま紹介する。
司法修習生の時、事実認定をどのように行うかについての教育だった。
午前10時にある店で商品が盗まれ、その日の夕方ごろ、その店から近いところで、盗品を持っていた人が警察官に窃盗罪の犯人として逮捕され、そのまま起訴されというものだった。
ただ、被告人は「警察官に見つかる少し前、捕まった場所で、友人から商品を転売してくれと言われて受け取った」と話している。
僕は迷わず「目撃者もいない。窃盗の自白もない。この被告人は確かに怪しいが自白もないのにこれだけの証拠で窃盗罪なんてとんでもない」と考えて、窃盗罪は成立しないと起案した。
ところが実務上の〝正解″は、これで窃盗罪になる。
窃盗の被害にあってから近い時間に、しかも被害のあった場所からも近い場所で、盗品を持っていた事実が認められるからには、その被告人の言い分がよほど納得のいくものでない限り、窃盗罪が認められるというのがこれまで積み上げられてきた裁判例なのだ。
友人を事情聴取し、友人と被告人の言い分に食い違いが生じて初めて窃盗罪になるのではないか。
イヤ、それでも友人がウソを言っていることも考えられるので、確たる証拠がない限り窃盗罪に問えないと考えるべきではないか。
こんな教育をしていては、多くの冤罪が生まれるわけだと、納得せざるをえない。
野遊人
「袴田事件 裁かれるのは我なり」を読み、映画「BOX 袴田事件 命とは」を知り、TSUTAYAもしくはGEOで借りようと探していたら、You Tyubeで見ることができた(ありがたいけど、いいのかなと思ってしまう)
刑事裁判では「疑わしきは被告人の利益に」という大原則があるが、袴田事件には全く採用されていない。
いくつか疑わしい点を上げてみると
・犯人が4人もの殺害しておきながら悲鳴や物音を近所の人は聞いていない(弁護団は複数の犯行と推察)
・刺したとされる刃渡り13~14cmのクリ小刀には鍔が付いておらず、44か所も刺せばついた血で手が滑り、掌に傷を負うのが当然と考えられる。しかもこの小刀では無理と思われる深い刺し傷が数か所ある。
・4人の人を、44か所も刺しておきながら、犯行時履いていたゴム草履には血液反応が見当たらないし、着ていたパジャマには微量の血痕しかついていない。
・事件から1年数か月後、作業中に突如味噌樽から、麻袋に包まれた血痕がついた着衣5点(ズボン、ステテコ、ブリーフ、シャツなど)が出てきた。事件からこれまで一度味噌を入れ替えたときには発見されていないという奇妙な出来事。
・しかも着衣についていた血液のDNA鑑定では、袴田さんのものはもとより被害者のものでもないことが判明。
おかしな点はまだまだあるが、なぜ素人でもおかしいと思うのに、地裁、高裁、最高裁は有罪(死刑)の判決を下すのか。
鎌田 慧著「反冤罪」に、これまでの冤罪事件を通して説明しているので一読を薦めるが、警察官、検察官、裁判官は仲間内で無責任体質だと言える。
朝日TVが静岡県警のエースと呼ばれた、袴田事件を取り調べた元刑事が次のようなインタビューを報道している(赤字はボクの意見)
記者)袴田巌死刑種が犯人であることは
元刑事)間違いない
記者)どこで確信を持ちましたか
元刑事)全部だよ。わかんない、忘れた(一人の人間を死刑にしておきながらこの言い分は許せない)
記者)一人で四人も殺害できるのか
元刑事)できるだろう、あの体格なら、ボクサーだよ(ボクサーと言っても体重51kg)
記者)取り調べがきつかったのでは
元刑事)そんなことないよ。有罪だからいいんだよ。きつく調べなきゃ言うわけないだろう、四人も殺しているんだから(一日10~12時間、ときには16時間に及ぶ取り調べが20日間も行われ、拷問による自白と断定できる)
記者)再審請求が続いていることは
元刑事)どう思うって、有罪だもん、いい加減にすりゃあいいんだよ
袴田事件の裁判官を務めた熊本元裁判官は、一時も裁判のことを忘れたことがないのに、無実の人を死刑に陥れた元刑事の何と罪の意識のないことか。
一人の人生を奪おうとしていることに罪の意識がないのか、恐ろしい〝人種″としか言いようがない。
野遊人
袴田事件とは、昭和41年6月30日、清水市のみそ製造会社の専務宅で、専務、妻、次女、長男の4人が小刀でメッタ刺しされた上、放火された事件。
8月18日、20日間の過酷な(真夏に毎日12~16時間にわたる)取り調べにより、従業員の袴田さんが自白し逮捕された事件である。
一審判決文は、死刑判決を出す根拠にとぼしい、およそ日本語としても支離滅裂の文章だった。
提出された袴田さんの供述調書45通のうち、証拠として採用されたのは、たった1通だけで、しかも他の44通の内容と異なった特別の内容があったわけではない。
即ちこの1通の自白調書を採用した論理的根拠は何もなかったのだ。
何故このような判決文になったのか、判決文を書いたのは3人の裁判官のうちの熊本典道主任裁判官で、この裁判官は無罪を主張したにもかかわらず、合議(多数決)により死刑を選択し、判決文は裁判所の慣例により、主任裁判官が書くことになっていたからで、無罪を主張する裁判官が死刑判決文を書くのは無理があるからだ。
熊本裁判官は半年後に裁判所を退官し、2007年3月、裁判所の慣例を破って「評議の秘密」(3人の裁判官のうち2人が有罪、1人が無罪)を語り、事件の概要、捜査の様子、地裁判決から最高裁判決、再審請求の展開をまとめたものである。
熊本元裁判官を中心にして作成した袴田事件の映画「BOX 袴田事件 命とは」を見逃しているので、ぜひ見たいと思っている。
野遊人
豊川幼児殺害事件とは、14年前の2002年7月の深夜、豊川のゲームセンター駐車場内で、車内で寝ていた1歳7か月の幼児が連れ出され、翌朝、御津町佐脇浜の海岸で遺体となって発見された事件。
目撃者も物証もなく、ゲームセンター駐車場にあった車の持ち主の事情聴取を開始し、8か月後の翌年4月、田邉雅樹さん(逮捕当時は川瀬さん)が自供し逮捕された。
しかし、唯一の証拠とされた自白には信用性に多くの疑問があり、自白は変遷を繰り返した。
例えば「幼児をガードレールの向こう側(海側)に立たせて道路側から押して海に落とした」とされていたが、朝日新聞の調査などで、犯行時刻は干潮時で、岸壁直下は岩が露出し、自白通りなら遺体に傷があるはずと疑問点が示されると、「自分もガードレールを超えて立ち、バスケットボールのように数メートル投げた」と変更した。
明らかに警察の誘導。
一審の名古屋地方裁判所で「自白の信用性には大きな疑念が残る」として無罪が言い渡された。
しかし二審の名古屋高裁では「自白の根幹部分は信用できる」として、逆転有罪判決をし、最高裁への上告は棄却され、現在大分刑務所に収監されている。
当時の潮の流速からすると、1時40分に投棄したなら遺体発見場所はもっと先になり、遺体発見場所から投棄場所を特定すると、立ち入ることができない、フェンスに囲まれた工場の敷地になる。
海上保安庁の回答にもかかわらず高裁の裁判長は、専門家の見解を誤差範囲と切って捨て去っている。
国民救援会は冤罪事件として「冤罪豊川幼児殺害事件 田邉さんを守る会」を結成して、担当弁護士とともに田邉さんの救済に乗りだし、先月名古屋高裁に再審を申し立てた。
「ゲームセンターの駐車場を出た初めての信号が赤で点灯・・・」と供述しているが、ここの信号は夜12時を過ぎると点滅信号に変わり(愛知県警)、供述と矛盾していると新証拠を上げている。
田邉さんが逮捕されて以降新聞などの報道を見る限り、限りなく冤罪だと確信していたので、高裁の判決は驚くばかりで、守る会に入会して微力ながら田邉さんの救出に尽力したい。
野遊人
シャワーを浴びることができないので、出発前に調べておいた日帰り入浴施設に行くことにしたが、主なところは被災して休業中、もしくは地震により通行止めのため行くことができない。
ありがたいことに、避難所に設置された風呂と、地域福祉センターの「のぎく荘」の風呂が使用できると、キャンプ場の案内にあった。
ボランティアの作業は午後4時には済ませて、センターに戻らなければならない。
作業を終えると一旦キャンプ場に戻り、着替え、バケツと洗剤、入浴セットを持って避難所に行き、お風呂に入って洗濯を済ませ、コンビニで夕食とアルコールを購入してキャンプ場に戻ると、楽しい夜が訪れる。
初対面であっても災害ボランティアという共通の目的を持っている、そこへアルコールが入るから自然と話が盛り上がる。
単独で来ている方がほとんどだが、交代で会社の業務としてきている団体さんもいる。
夫が定年退職した夫婦連れや、先日入籍したばかりの救命救急士と看護師のカップルもいた。
中でも、長野県の長和町からヒッチハイクで来たミズノさんとはウマが合い、さらに豊橋でつながりがあった。
ミズノさんは田原の八熊台で居を構えていたが、田舎暮らしにあこがれて長和町に移り住んだ。
奥さんは豊橋の岩屋町の人で、お義父さんは岩屋町でスーパーを経営していたが、糖尿病から腎不全を合併し、透析を受けていたから、ひょっとしたら患者さんとして知っていたかも。
ミズノさんの長男は、サッカー部に在籍して体育の教師を目指していたが、足首を痛め、完治しても思うようにサッカーができず不登校となった。
ミズノさんは東日本大震災のボランティアに1ヶ月行くことを決め、長男に一緒に行くかと誘うとそれに応じた。
ボランティア先で一緒に行動した看護師などの行動や話に刺激を受けた長男は、帰ってから看護師になると言い、高校に復学し、この春看護師の道を歩き始めたそうだ。
ドラマのような話だが、両親の背中を見て育っているのでしょう。
とてもよい話を伺った。
野遊人