中学生の時いじめを受け自殺、命が助かったものの戻った学校でさらに陰湿ないじめから非行に走り、極道の妻となり背中に入れ墨を彫った著者が、中卒で弁護士になった半生を記した本(中卒でも司法試験を受けることができるのを知った)
TVでも放映されたからご存知の方も多いと思う。
ボクが一番感動したのは、著者を立ち直らせた父親の友人の‟おっちゃん”会社を経営しながら、非行に走った子供を雇い入れ、資格を取らせては社会へ帰すしている。
会社の接待で行った先でホステスをしていた著者を見つけたおっちゃんは、何度も喫茶店に呼び出して著者と話をする。
ある日、捨て台詞を吐く著者に、確かにあんたが道を踏み外したのは、あんただけのせいやないと思う。親も周囲も悪かったやろう。
でもな、いつまでも立ち直ろうとしないのは、あんたのせいやで。甘えるな!と、喫茶店の客がカップを落としそうになるほど大きな声を上げる。
その時初めて、自分を心配している人がいることを実感する。
弁護士になってから冒頭の肩書の女性弁護士がいることを知ったTV局が、著者のドキュメンタリーを製作することになった時、背中の入れ墨を放映するかどうかで議論になり、著者はおっちゃんに相談。
おっちゃんは、「弁護士の肩書がなんぼのもんや。背中の入れ墨は、ここまで落ちても人生はまだまだこれから必ずやり直せるっていうことの証や。そういう番組を作ってください」と言うから、性根の座った人だと思う。
こんなおっちゃんになりたいが、ボクにはここまでの根性はないなぁ。
※その後の人生を綴った「陽だまりの時間」「今日を生きる」興味がある方はご愛読あれ。
野遊人
敗戦の混乱期、中国に置いてきた、いわゆる中国残留孤児の存在がマスコミで報道されたとき、満州へ出兵したことがあるボクのオヤジは、日本軍があれだけひどいことを中国の国民に行って尚、日本人の子を育てていた中国人の寛大さに感嘆したことを思い出した。
しかし「大地の子」を読んで、中国残留孤児として日本の地を踏んだ人は、比較的恵まれた環境で育てられた孤児で、多くは貧しい寒村で、労働力として‟買われ”小さいうちから馬車馬のごとく働かされ、学校にも通えなかったのが実態だ。
主人公の陸一心も同様の運命をたどるところを、運よく教師を勤める養父に拾われて高等教育を受けることができたが、幼くして別れた妹のあつ子は、強欲な姑(原文のまま)に奴隷以上にこき使われ、40歳にして短い生涯を閉じなければならなかった。
読んでいて何度も目頭が熱くなり、字が読めなくなったことか、今でもブログを書いていて目に涙がたまってしまう。
山崎豊子さんの本を多く読んでいるが、中国残留孤児の問題と、日中合作プロジェクトの上海宝山製鉄所建設問題で中国の社会システムを絡み合わせた「大地の子」は、山崎さんの最高傑作とボクは思うし、このブログを読んだ方にも一読をお薦めする。
野遊人
20日から27日、豊橋美術博物館で「模型の魅力展」が開催されている。
ボクの年代の男なら誰しも一度は、プラモデルを製作したことがあると思う。
当然ボクは足を運んできた。
世界的なプラモデルメーカーのタミヤと、映画スターウォーズの製作会社から注文があるほど技術が高い、豊橋が誇るファインモールドのプラモデルと開発資料が展示され、プラモデルの歴史と文化が紹介されている。
館内の展示物は撮影禁止なので、こんな写真しかないのはご了承いただきたい。
売店ではプラモデルや書籍が販売されている。
展示を見て、再びプラモデルを製作したいと気持ちがわいてきた。
60歳でリターンライダーになったボクは、65歳でリターンプラモーになるかも。
野遊人
戦前、国策ですすめられた満蒙開拓。
「満蒙は日本の生命線」「20町歩の大地主になれる」と大陸に動員され、開拓団に参加した人数が最も多かったのは長野県であったことは、一昨日のブログに書いた。
しかし、国策であったにもかかわらず、満蒙開拓に反対した村長が長野県に3人いた。
大下條村(現阿南町)の佐々木忠綱村長は下伊那郡の村長たちの現地調査に参加し「現地人の土地を略奪して開拓を進めている」とし、軍人会や県、国会議員の攻撃に屈せず、最後まで分村(村民を二つに分けてその一つを移民させる)をおこなわなかった。
佐々木忠綱村長の肉声テープが見つかり、満蒙開拓平和記念館に保管されている。
佐々木村長の他にも、平岡村(現天竜村)の熊谷長三郎村長、木島村(現飯山市)の佐藤副次村長も、警察権力などの攻撃と圧力に屈せず、最後まで反対を貫いている。
この3人の村長の行動は、村人の命は村長があずかっているという信念からきているのでしょう。
このような人が本来政治家になるべきと思うが、現金授受の大臣、ゲス不倫議員、そして5人の女性との関係を暴かれた参議院候補者、あきれた面々ばかりだ。
野遊人
ミスター二塁打と言われた、元中日ドラゴンズの立浪和義さんの自著、「負けん気」を読んだ感想を記したい。
プロ野球の選手にあって、決して恵まれた体格ではなかったが、通算の二塁打数は日本一、通算安打は長島茂雄氏を抜いているのは、不断のトレーニングの賜物であったことは想像に難くないし、著書でも“負けん気”でトレーニングに励んだと記している。
そして、トレーナー、スコアラー、バッティングピッチャー、フロントなど、周りのスタッフの、献身的な努力と支援があったから今日の自分があると、感謝の念が随所に記されている。
記録におぼれることなく謙虚な気持ちが、一流の選手に育てるのではないかと考えた。
立浪さんが2000本安打を達成した時、PL学園で2年先輩の清原和博(容疑者なので敬称はつけない)に花束贈呈を依頼するほど、清原を尊敬・敬愛していたが、覚せい剤取締法違反で逮捕された今、立浪さんはどのように思っているのだろうか。
ボクが思うに、清原は自らの才能におぼれ、謙虚な姿勢がなかったから、引退してから指導者の声がかからなかったのではないかと、この本を読んで思った次第である。
野遊人