「透析昔話1 ベテラン患者は装置を信用しない」で、スイッチの入れ忘れによって透析されていないことを書いた。
その後、透析装置はアナログの時代からデジタルの時代へと移行したが、スイッチの入れ忘れと入れ間違いによるトラブルは引き続き存在した。
当時の透析装置は、装置の配管内のエアーを追い出すための「ガスパージ」、透析液を停止する「停止」、透析液を流す「運転」スイッチの他に除水スイッチがあった。
「運転」スイッチを入れておいても、除水スイッチが「切」の状態だと、ダイアライザーに透析液が流れるので、透析はできるが除水の制御ができない。
ダイアライザーにかかる静脈圧と透析液圧の差によって除水され、しかも除水制御が効かないので、除水量の積算値は0mlと表示される。
多くのスタッフはこれが理解できないので、除水量の積算値は0mlであれば除水されていないと判断し、結果的に大きな除水誤差が生じてしまう。
そこで以下の表を作成し、トラブルに発展しないようにした。
運転スイッチがONで除水スイッチが「切」の時は、気づいた時点で体重測定をして除水計算をやり直し、透析時間は、所定の透析時間から運転していた時間を引いたものが残りの透析時間とするよう通達した。
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ガスパージ |
停止 |
運転 |
除水SW切 |
体重測定 所定の透析時間 ―ガスパージ時間 |
体重測定 所定の時間透析 |
体重測定 所定の透析時間 ―運転時間 |
除水SW入 |
体重測定 所定の透析時間 ―ガスパージ時間 |
所定の時間透析 |
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これでスイッチの入れ忘れ等によるトラブルは減少したがゼロにはならなかった。
何故なら、新人スタッフが同じ過ちを犯してしまうから。
野遊人
臨床工学技士法が制定されたのは昭和63年、それまでは透析装置の保守・管理に携わるボクらは透析技士、あるいはテクニシャンなどと呼ばれていた。
施設によっては准看護師の資格を取らせていたところもあったが、多くは無資格で仕事にあたっていた。
そのような時代に、確か関東地方の施設と記憶しているが、以下の事件が起きた。
男性の透析患者が、女性の透析患者に好意をもち、ストーカー行為(当時そのような言葉はないが)を行うようになった。
困った女性患者は、通院する施設の透析技士に相談し、相談を受けた透析技士は男性患者に注意したところ、男性患者は逆恨みし、警察に“無資格で医療行為をしている”と訴え裁判になった。
人工透析研究会会長(日本透析医学会の前身)であり、東京女子医大移植外科医の故太田和夫先生が、被告側の証人に立つなど大きな話題となった。
昭和50年から60年にかけて医療は急速に発展した時期で、透析に限らず、人工心肺装置や人工呼吸器などの医療機器が開発された反面、それを扱うスタッフは各施設が自前で育て上げねばならない状況であった。
生命維持装置を扱う臨床工学技士の誕生のきっかけともなった前段の事件であった。
臨床工学技士法が制定された昭和63年から5年間の経過措置の間に、受験資格を得るための講習を受け試験に合格しないと、仕事に従事することはできなくなった。
受験資格を得るための受講に、半年間毎週日曜日、名古屋の中京病院に通ったことを懐かしく思い出す。
野遊人
現在の透析は重曹(バイカーボ)透析だが、30年前の透析は酢酸(アセテート)透析が主流であった。
重曹透析、酢酸透析とはと問われても、透析室で働くスタッフでも答えられない人がほとんどではなかろうか。
それも無理はない話で、透析剤を製造・販売している扶桑薬品のHPを見ると、酢酸の透析液はなく、すでに絶滅危惧種になっていた。
人間の体液は、常にPHが7.4を保つようにコントロールされているが、腎不全になると尿毒素が腎臓から排泄されにくくなり、尿毒素の一つである酸性の物質も体内に貯まり、体液は酸性に傾く(PHが下がる)
透析治療ではいろいろな尿毒素を取り除き、酸性に傾いた体液を是正するためにアルカリ化剤を補充する。
アルカリ化剤には重曹か酢酸が用いられる。
重曹は直接重炭酸が放出されて体液が是正されるが、酢酸は一旦肝臓で代謝されて重炭酸に返還される。
酢酸は、酢酸自体殺菌作用があり、透析液の管理が楽である一方、除水によって血圧が下がりやすいところに酢酸には血管拡張作用によって、さらに血圧を下げてしまう欠陥があった。
では何故重曹透析でなく酢酸透析が主流であったのか。
簡単に行ってしまえば重曹透析が行える透析装置がなかった一言に尽きる。
ボクがこの仕事に従事する前の透析は、バッチ式と言って大きなタライの中に透析液を作製して行っていた。
そうすると、時間の経過とともに、透析液の重炭酸とCaやMgの二価のイオンが結合して結晶を作ってしまい、薬効が失なったり装置に故障を起こさせてしまう。
※そのため重曹の透析液は2剤に分かれている。
因みにキンダリー4号(扶桑薬品)透析液の組成を示しておこう。
現在の装置は連続的に透析液を作製し、PH調整剤の氷酢酸を加えることによりPHを下げて(PH7.2)結晶化を防止している。
重曹透析の優位性がわかっていても、一気に透析装置を更新することができなかったので、酢酸透析の装置に日機装社製のNa注入器をつけて、重曹透析を行っていた。
重曹透析に代えて「透析がすごく楽になったけど、こんなに楽になっていいのかしら」と言った患者さんの言葉が忘れられない。
野遊人
ちょっと待て、他に警報は発令していないの?と聞き返すと、出ていないと言う。
それはおかしい。
透析中はSV5(赤丸部分)という電磁弁は通常(開)状態で、もしこれが透析中に(閉)になれば、青線の向きに流れている透析液が遮断されて、透析液圧下限警報が発令する。
※電磁弁に微弱な電流を流して、電磁弁が開いているか閉じているか常時監視している。
電話をよこした技士は、液晶パネルに表示されているメッセージを読むだけで、上記のように考えないため原因がわからず、当然対処もできないでいる。
「透析液洗い流し」行程にしてSV5の電圧を見ると、透析液は流れているにもかかわらず電圧は0.068Vと低く閉じている状態だが、透析液圧下限警報は発令していないので開いていると判断した。
透析装置を開け、SV5を目視で観察したり触知していると、SV5に電圧を測定する2本挿し込んであるコードの1本がポロリと落ちた。
あ~これが原因だ。
コネクターが緩く、装置の振動で抜けてしまったのが原因で、メスのコネクターをプライヤーで少しつぶして装着し、これにて一件落着。
現在の透析装置(透析装置に限らず家電もそうだが)は多くのセンサーが組み込まれているが、必ずしもセンサーが正しい情報を発するとは限らないことを知ってほしい一例。
野遊人
ヒューマンエラーとは人為的過誤や失敗(ミス)のことで、「意図しない結果を生じる人間の行為」
透析治療を行う時、ダイアライザー(人工腎臓)に透析液を流すためのカプラーを接続し、総除水量、除水速度、抗凝固剤の注入速度などを設定して、運転スイッチを入れなければならない。
しかし“人間は過ちを犯す動物”と言われている通り、時として上記の作業を落としてしまうことがある。
それらを防ぐためにダブルチェックを行うのだが、それもスルーしてしまうことがある。
現在の透析装置は、スイッチの入れ忘れや入力忘れがあったとき、必ずOKモニター(日機装社製の装置)が働いて警告を発するようになっている。
また、一定の手筈を踏まないと次の工程に進めないように設計されている。
したがって現在の透析室では、スイッチ等の入れ忘れによるトラブルは皆無であるが、30年前の装置はヒューマンエラーを防止するよう設計することが技術的に無理であったため、どうしても人間の目視によるチェックに頼らざるを得ない。
しかし上述した通り人間の注意力には限界があり、ヒューマンエラーによるトラブルをゼロにすることはできない。
30年前はこんなトラブルがあったことを紹介しよう。
5時間の透析が終了し、終了操作を行おうと患者さんのところに行くと、あろうことか、ダイアライザーにカプラーが接続されていない。
つまり5時間もの間、血液回路内を血液が空回りしていただけで、透析も除水もされていないのだ。
この話をスタッフにしたところ「そういう場合はどうするのですか」と聞かれた。
このまま所定の透析を行うか、一旦帰宅していただき翌日透析をするかのどちらかで、中には激昂する患者さんがいるが、非はこちらにあるので、ひたすら謝るしかない。
今のスタッフには理解できない話だろうな。
野遊人